闘病記・手術から7か月目の総集編(3)(2005.8に記したものの再録)
(3)知った、悟った、変わった! (「キューバン・サルサ日記」2005.8.26掲載) 倒れてから9か月間で僕が思ったことは山のようにあって、とても全部書き尽くせないので、ある程度選んでここには載せる。1.他人との比較をしないようになった 東大病院でたくさんの患者とすれ違った。特に、僕よりずっと若くて、車いすに乗って、たくさん管をつないで往き来している人たち。「ああ、大変やなあ。僕はこの年になってからやからええけど、この子らは若いのに病気になって……」 でも、そんな人たちに何人も会ううちに、「何が一体『ええ』やねん」と自分につっこんでる自分に気づいたのだ。長いこと病気せんと生きとったらそれだけ楽しいことが経験できるのか? ほな病気したら楽しくないのか? そういう問題でもないでしょうに。どういう境遇にあっても、ひとりひとりにはその人独特の幸せがあるはず。それは病気であっても、不慮の事故に遭ったとしても同じで、誰か他人が判断できることではない。 他人から見て、一見幸せに見えない人の生活にも、その人なりの幸せがあるかも知れない。逆に、どんなに豊かに見える人生でも、本人自身が「こんな人生、情けない」と思っているとしたら幸せにならない。そんなものではないだろうか。2.自分の健康状態について欲張らなくなった 手術によって、言葉を失ったり、右半身(利き腕側)の機能を失ったりする可能性を示唆されたので、正直それは覚悟した。大げさだと笑われようが、手術直後のしゃっくりや立ちくらみはこれが一生続くんとちゃうかと半ば本気で思っていた。両方とも現れず・続かずだったものの、3月には週3出勤を週4に増やしたいと思っても身体がついていかず1度目の大ショック、そして5月には肝臓を大きく傷め2度目の大ショック。 それで僕は悟った。と言うか、開き直った。自分の身に何が起こってもびっくりはしない。今後早い時期に万が一「脳腫瘍が再発しましたよ」なんて言われたとしても大丈夫。もしも「副作用と関係なく肝臓の病気ですね」ということになっても受け入れますよ。脳も肝臓も関係なく道で不慮の事故に遭ってもどんと来いだ。衝撃は大きいでしょうが、驚きはしない、おそらく。そこまで考えると、逆に気が楽になった。 楽になったから、徐々に体調がよくなってるのかな? いえ、本当は点滴治療を中止したことが一番大きいようなのだが。でも6月いっぱいぐらいは身体がマジ辛かった。3.医師にしっかり自己主張するようになった K病院からの退院後の最初の通院(昨年12月)の前に予め「セカンド・オピニオンを求めに行きたいから、紹介状と診断書と写真が欲しい」と手紙を送っておき、診察を受けた。それによって時間を節約するのと同時に、「自分は積極的に治療を受ける意志がある」ことを自分自身にも、医療側にも明示するわけだ。さっさと手術を終わらせてさっさと仕事に戻りたいという気持ちはあったが、それよりもむしろ、身体の中で一番繊細な場所を切るから、という不安の方が大きかった。 こういう「自己主張」は退院後の治療でもやっている。特に点滴治療の開始以降、肝臓の不調、食欲不振など、薬の副作用と見られる状態はたくさんあったので、副作用の情報はかなりネットで取った。薬局からもらえる情報とは違い、ネット上にあるものは「よくある副作用」「たまにある副作用」等の段階に分かれて載っているので少し詳しくてわかりやすいし、例えば同じ種類である「抗けいれん剤」同士なら一目瞭然、比較がしやすい(抗けいれん剤としてだけでなく、他の用途でも使われるものがあるなんてこともここでわかる)。これらを診察前に予習しておけば、医師がどのような情報を元にして投薬を判断しているかが少しわかり、特に副作用止めの薬などは「服薬中止」の判断を患者側から促すことが可能になってくる。診察の時間はそんなに長いわけでなし、有効に使わんとねえ。 そう、医師にもよるだろうが、薬をどうするか(変えるか、続けるか、止めるか)は患者がしっかり言わなければ動かない場合もある。これも今回新たに知ったことだ。
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