脳腫瘍摘出手術1周年

 去年の1月25日の朝。手術衣に着替えてストレッチャーに載って病棟を出た僕は、妻と両親に見送られ手術棟へ入った。 とは言え、よくテレビ・ドラマで見るような感じでは全然なくて、大きい病院なので、もう全ての科からの患者が一堂に集まってきていて、文字通りの「朝のラッシュ時」だった。あれでよく盲腸を切られたり、帝王切開をされたりしなかったものだと今更ながら思う。 点滴のルートを確保され、麻酔を打たれ、手術室に入る。強い光がまぶしい。主治医が挨拶する。「執刀医の中居正広(仮名)です。木村拓哉さん(仮名。て仮名にしたかてどんな仮名や)ですね」「はい」緊張の元に手術が始まる……なーんて、うっそぴょーん。全ての痛みを感じる場所を切るんやから、迷わず全身麻酔やもん。「麻酔を打たれ」のところ以降は一切憶えてません。 全身麻酔ってすごいねんで。心臓はもちろん動いてるけど、自発呼吸も止めてまうから、呼吸器をつけてんとあかんのや。 その次の記憶は、麻酔から醒めた後の「木村さん(あくまでも仮名)、目さめましたか? 手術成功しましたよ」という研修医のせりふだ。とにかく頭が痛かった。 手術したその日の夜は、HCU (High Care Unit) に入った。手術の疲れか、本当によく眠った……というのも嘘。脳の手術だったので、「意識を失ってはいけない」から、眠らせてくれないのだ。何時間かおきに「木村さーん(しぶとく仮名)、大丈夫ですかー?」と看護師がペンライトで眼を照らしながら声を掛けにやってくる。 そうでなくても、意味は忘れたけど、足に重い砂袋は載ってるし、そしてHCUだから、救急で運ばれて手術を受けた人もそのあと同じ病室に流れてくるのだ。そうなると当然、夜中だろうと何だろうと時刻を問わない。眠れない。 HCUには2泊だけした。あそこで救急の患者さんに献身的な看病をしていた看護師のSさん、最後に脳神経外科病棟まで送ってもらったときに、思わず「お世話になりました。でも頑張りすぎないで下さいね」なんてエラソーなこと言うてしもたけど、元気にしてはるかなあ。 それから1年。あの頃、「キューバン・サルサ日記」にはあまり手術直後のことは書いていない。痛みやしんどさはどうしても忘れてしまうし、いくら「忘れないために書き残しておこう」なんて思っても限度はあるけど、それでも、何かの役には立つだろう。 今日は入院していた、そして今も通院中の東大病院のいわばシンボル・カラー、煉瓦色の文字で書いてみました。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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