ヤング岩倉千兵衛--Sakiさんへの手紙
『サルサ日常日記』の「叫ぶ普通の妙齢」Sakiさんの大阪旅行記シリーズ(そのうちでも特に宿レポート。12/10から12/16まで)を一気に読んでしまった。おもろい。 感想を早よメールせなーと思っていたのだが、瞬く間に日にちが経ってしまった。以下、彼女へのメールである。***************************************** Sakiさん、こんにちは。「ハッァ~~イ!」と言わないDJもたまにやる、せんべです。 Sakiさんの昨年末の大阪旅行記を読んで、お便りせなーと思てたんですが、ついつい時が経ってしまいました。 実は、たまたま年末に、およそ20年ぶりにあのあたりを「いやー、ここも全然変わってへんなー」なんて呟きながら散歩したんですよ。街もそのまんま。ドヤの安さもそのまんま。匂いもそのまんま。タイム・スリップしてしもたんかと思いましたね(「キューバン・サルサ日記」12/31付に少しだけ触れてます)。 僕、学生時代よくウロウロしてたんですよ、あの辺。泊まってたとか働いてたとかやのうて、ホンマにウロウロだけしてたんですけどね。 もうちょっと正確に言うと、飛田新地のすぐ近くの子ども会に毎週1回行ってて、あとは夏なんかにその子ども会や、同じく釜ヶ崎の保育園のキャンプや運動会手伝うたりしてました。今の季節は、土曜日に終電ギリギリまで子どもらと、毛布や即席のみそ汁持って夜回りとかしてました。 あの頃は好奇心と正義感が旺盛で、「俺が貧困を解明したるー」かなんか思て意気込んで、僕なりの取っかかりで釜に行きだしたんやけど、意外とそこにいてる子たちはフツーに生きてて、でもちょっと家庭事情は複雑そうな子は多うて……てな感じでした。 そういうフクザツな子て、実際はどこにでもいてますわなあ。ひょっとしたら釜ではそんな子の比率は高いかも知らんけど。やたら元気な子の比率も高かったかもな。 おっさんになってみると、その頃の釜で見・聞き・経験したことが、結構今の自分の糧になってる気がするんです、何となくですけど。 Sakiさんの日記を読んで、若き日のそんな記憶が改めて呼び覚まされてしまいました。おおきに。 いずれどこぞのサルサ場で会うたら踊っておくれやす。
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