息が止まった息子
母が脳梗塞で倒れて4か月近く。リハビリテイション専門の病院に転院してから約ひと月(転院に至る顛末は「せんべのブログ・ソネーロ」1/31付をお読み下さい)。何とか時間が取れた僕は、およそふた月ぶりに大阪へ帰った。 20日の月曜日、新大阪の駅に降り立ったら実家へ帰らず即入院先のY病院へ向かう。実家に比較的近いところを選んだとは言え、最寄り駅も違えば使う路線も違うのだ。 病室のベッドに座っていた母は、2か月前よりもまた左手の力が強くなっていたし、表情も豊かになっていた。コミュニケイションの不自由さはまだ残っていたが、前よりたくさん字を書いていた。 歩く練習に付き合った。理学療法士に、動かない方の足や腕の曲げ伸ばしやツボ押しをしてもらい、そのあとゆっくり立ち上がり4点杖で10mほどを歩く。 「倒れた」と最初聞いたときは最悪のことを覚悟しただけに(大げさやけど、それが正直な気持ちだった)、それがあれだけ歩いてるなんて。僕は母の後ろ姿を見て、涙が出そうになった。 「じゃ、あの椅子に座って少し休憩しましょうか」療法士さんの声に促されて、母が一息つく。「ハア、ハア、ハァーーーッ、ハァーーーッ」これは母が息を切らしているのではない。僕が、母を見ながら無意識のうちに息を止めていたことにやっと気づいたのだ。 夜、実家に弟もやって来て親子3人で話した。転院2週間目に行われた病院側からの説明(弟も一緒に聴いた)では、入院期間の予想は僅か8週間だとのことだ。1月の半ばに最初に電話で問い合わせたときに、3か月だとか最長でも半年だとか言われたのとはえらい違いだ。要するに、治療をしている訳ではないので、ある程度リハビリのしかたを覚えれば、あとは自宅や通所でやって下さい、という考え方なのだろう。 8週間ということなら、退院は4月の半ばだ。退院のときにはまた帰って何か手伝いたいが、今度は「富田雅美ダンス・ユニット」の発表会が5月5日に控えていて、例の「タブー」ともう1つ、フィナーレも何だか踊れと言われているので、全体リハなんかが引っかかると帰省しにくいのが辛い。 ともあれ、母にとっても、父にとっても弟にとっても僕にとっても、本当に大変なのはこれからだ。でも、本当に楽しいのもこれからなのだ、たぶん。 今回のおまけ。Y病院の最寄り駅へ行くときに使う近鉄大阪線の電車です。昔からあまり変わらない色使いですね。今風の色の電車もあったけど、こっちの方が僕は好きです。 下の写真は病院近くの駅で見つけたたばこ屋さんの手描きの看板です。よくある「たばこ」の踊るような文字を一所懸命真似ようとしはったんでしょうけど、ねえ……。とても味があります。
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