パフォーマンスの「賞味期限」
昨年の初夏、未だ抗がん剤点滴の副作用で弱々だった僕に「7月の『東京サルサ・フェスティバル』に『チャチャチータス』が出るときに、せんべさんの調子が良ければ一部出演しませんか? 真ん中の間奏あたりでちびを次々とリフトしてほしいんだな~」と、彼女たちの先生・富田雅美さんが声をかけて下さった。そしてこの演目は、去年12月のジョルリタ一門の「グラン・フィエスタ」、今年5月の「富田雅美ダンスユニット・第9回発表会」と演ることになった。 別に、この振りをこの1年間ずっと練習し続けた訳ではない。しかし、常に僕の心の中に「ああ、次はこの日にあの踊りを演るんだ」と思う気持ちの張りのようなものがあった。↑昨年7月の「東京サルサ・フェスティバル」、Zepp Tokyoにて その「張り」の有効期限が、もうすぐやってくる。5月5日の発表会以降は、今のところ演る予定はない。4月の初め、そう思うと無性に、新しい演目が演りたくなってきた、やはり。 今年の初めに、「リトゥモマニア・ハポネサ」復活最初の演目として、ルンバを始めようという話は出ていた。メンバーこそ具体的に決まってはいなかったものの、振付もオルランドに頼み、練習は日曜の夜というような大枠は決まっていて、あとはいつからやりだすか、それだけという感じだった。 ただ、リーダーたるべき僕が、やっと今年に入って週5日出勤を始めたばかり。また、1月の終わりから再開したバレエも軌道に乗せたいなんて欲張りなことを言っていて、振付練習まで気が回りそうにならなくなった。しばらくはやめにするか……一旦はそんなことを考えた矢先だった、言い知れぬ不安感に襲われたのは(言い方が大げさですが、結構本当です)。 レッスンに出ること、フロアで踊ること、人に教えること、そして舞台で踊ること等々。何が中心かは個々のダンサーによって違う。とは言え、「舞台の予定がない」ことが、こんなに落ち着かないことなのか、自分自身不思議だったが、脳腫瘍の摘出手術から1年2か月、これも自分が元気になった証拠だと受けとめよう。騒ぎ出した「パフォーマーの虫」は抑えられない。やっぱり、舞台に出よう、改めてみんなを誘って、練習しよう。RJのメンバーに呼びかけのメールを書いた。 ところがギッチョンチョン!(……もうええ加減にして欲しいわ) そんなときに、オルランドがしばらくレッスンに来られない状況になってしまったのだ。はあ、参ったなあ。 でも、彼が戻って来たらすぐに始めたい、ルンバのパフォーマンス練習! はっきり言うて僕ら、サボールには自信あります。
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