誰が「娘」やねん
もう3週間ほど前のことになるが、昔からのサルサ仲間のCちゃんの結婚披露宴に呼ばれた。東京は青山での、レストラン・ウェディングである。 僕は比較的早いうちから、「乾杯の音頭を取ってくれ」と彼女に言われていた。どんな感じの披露宴かよくわからないとは言え、たくさんの列席者のうちでサルサ関係者はわずか6人、そっち関係の音楽は特になしとくれば雰囲気は推して知るべし。いつものノリで「センベイでーす、びろ~ん」とやれば浮くに決まっている。 また、ただの挨拶なら「とゆーわけで、末永くお幸せに。センベイでしたー」で終わらせさえすれば内容はテキトーでいいのだが、こと乾杯の音頭となると、ひととおり喋った後に必ず「それでは皆さん、グラスをお持ち下さい……Cさん、Nさん、お二方のご家族・ご親族の皆さま、並びにお友だちの皆さんに幾久しく幸せが訪れますことを祈念致しまして、乾杯!」と持っていかねばならないのである。まるでサルサではなくて、マリアッチかタンゴの終わり方のお決まりのパターンのようで、ミョーにドキドキしてしまった。 まして、「それでは、新婦Cさんのサルサの先輩の……」なんて紹介されたもんだから、緊張は最高潮。「そそそんな、せせせんぱぱぱいやゆゆゆうたかて、13年もやってるんですから、その中で先輩も後輩もほとんどおませんがな」 ……とか何とか言いながら、無事に大役を果たした僕は、やおら (ahora) ひたすら食べ方・飲み方へ突っ走ったのだった。一緒にいた妻曰く「あー、よくがんばったねーせんべー、何か、娘の結婚式って感じだったね」ってあーた、Cちゃんは僕と10コしか違えへんのやで。娘やあれへん、せめて「妹」ぐらい言うてんか。 ところで、実際Cちゃんは、僕のサルサ生活の結構古い頃からの友だちなので、僕たちのテーブルはさながら「サルサ同窓会」の様相を呈していた。Cちゃんと同じ頃、市川奈美さんの教室で一緒だったYちゃんやIくんとは、東大病院に見舞いに来てくれて以来の再会だった。更に同じテーブルだった2人には「いやー、昔『プンタ・デル・エステ』(かつて横浜・新山下にあった、土曜の夜は夜通しラテンをやっていたクラブ)ですげー踊りやってたの見ましたよー」と言われたし。雰囲気よし、料理もよしの素敵な宴だった。 この日初めて会ったCちゃんの夫君の仕事はT社の発電所開発で、しかも今担当しているプロジェクトは、メキシコ東部バヤドリーの火力発電所らしいのである。バヤドリー……行ったことはないが、20年前、遺跡で有名なチチェン・イッツァに旅したときに何度か目にして憶えている地名である。しかも、「マドリー」と語尾はカタカナで書けば似ているが、 "Madrid" と "Valladolid", すなわち "-drid" と "-dolid" で実は違うのである。おタッキーな話は横へ置いておくとしても、不思議な縁ではある。
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