Japan Salsa Congress antes de este año

 今日、このブログをアップロードしているちょうど今、東京は六本木のスタジオ・ペペ2では、ジャパン・サルサ・コングレスの前前夜祭が、プエルト・リコのマンボ・ペア Tito y Tamara を迎えて盛大に開かれているはずである。先日の日曜日にスタジオの主の石井さんが「いやー、何人お客さんが来るのかなあ。あそこって、人が溢れちゃうと周りのお店に迷惑がかかるんだよね」と真剣に心配していたのが印象に残っている。 Tito y Tamara, サルサ・ホットライン・ジャパンのサイトから。 そう、僕がその Tito y Tamara のアテンドを中心にJSCで働くのは28日の日曜1日のみなので、僕のJSCはまだ全然始まらない。今日25日は夜の会議、明日26日はタンゴのリハ、27日の土曜日はレギュラーで仕事だから、この間全く僕はJSCに参加できない。 でも、もう海外ダンサーたちがどんどん成田に着いていることは言うまでもないし、ショウに出る日本内外のパフォーマーたちは最後の仕上げに余念がないはずだし(つい先日ネットを通じてお近づきになった Hana-Linda の Yuki さんもその例に漏れません)、当然JSCは既にその歩みを進めているのだ。 僕のJSC出演経験は、一体何回になるんだろう。Ritmomanía Japonesa と、アダジオ商会とで「延べ回数」という数え方をすれば、それなりの数になるはずだ。 それに対して、会場のお手伝い、いわゆる「ボランティア」の体験はこれまで2回。2002年、まだEBIS 303でやっていた時代にまず1度。とりあえず会場整理から、チラシ折込から、海外ダンサーの誘導から、そして最後はもう延々「ああああああ、一体、いつになったら終わるんや」と真剣にボヤキつつのゴミ袋の片付けから、何から何までやった。そう言や、会場内を駆けずり回ってたら、途中でワークショップ中の Alberto Romay に呼び止められてルンバの人数合わせ手伝わされたり、チラシ折りの合間にまだ学生やった頃のケイちゃん(ダンサー/インストラクターの Keiko さん)たちにサリーダ(タンゴの基本ステップ)教えたりもしたぞ。 それがおもろかったんで味をしめてしもて、3年後の2005年、友だちの Orlando Sotolongo のワークショップの通訳を中心に、再びボランティアに参加。病み上がりで踊りで参加するどころではなかった僕は、ちょっぴり充実感を得たのだった。 アキレス腱を切って更に「それどころではなかった」昨2006年を超えて、さて、今年。ボランティアの現地下見会に行ってみても、以前よりもずーーーっとJSC、そしてこのボランティアの活動が組織化かつ成熟しているのがよくわかった。何がどう熟しているのか、それはまた明日以降ご説明しましょう。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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