「絶えさせないため」の別姓

(10/17付の続き) 少子化の話を持ち出すまでもなく、「女の子で、ひとりっ子」というのも、既に僕の時代から普通にいる。もちろん、男兄弟がいたが、何らかの原因で期せずして亡くなってしまった場合まで含めれば、「『結婚相手(男性)の姓に合わせるのが普通だという慣習』のせいで苗字が絶えてしまう」例はたくさんあるに違いない。 僕自身は正直言って、自分の苗字が絶えようがどうしようがどうでもいい(……なんてことをあっさり言うと父が怒り出しそうだが)。絶えさせたくなければ、もっと積極的に子供を持って、その子に自分の姓を嗣がせることにこだわっていたはずだ。そうではなくて、ただ単に、昔から付き合ってきて、呼びならわされてきた苗字ともっと長く一緒にいたいだけで、きっと相手もそれと似た思いを持っているだろうと思うのだ。 ところが、意外と古風な、僕のような個人主義的な思いとある意味対極にある考え方で、自分の姓を保ちたいという人もいるようなのだ。つまり、「自分の姓を絶えさせたくないが故に別姓制度が欲しい」と。 姓や、家制度に対する価値観からすると、僕のそれらとは、全く相容れるものではない。しかし、その辺はどうあれ、「元の姓を保ちたい」という点では思いは一緒、「選択肢は多い方がいい」という点では考えは同じだ。そんな、一見相反する者同士であっても「別姓」という形を希望するという点で一致する、それこそが選択的夫婦別姓のよいところではないのか。何度も言うが、同姓にしたければすることができる、別姓にしたければそれもアリ、それが「選択的夫婦別姓」なのだ。 だからこそ、反対を唱える人にはぜひお願いしたい、「この別姓実践者のここがこう悪い」という実例と、そして「それはこうこういう理由で別姓のせいなのだ」と分析していただきたい。それらによって、ぜひ皆さんの本心を知り、ちゃんと議論をしたいのだ。 さて、夫婦別姓を論じる際に、僕にとって決して避けて通れない大難題について、次の機会に僕の考えを述べることで、このシリーズを一旦締めたい。その難題とは……「別姓にして今の苗字を保つことが男女平等のように考えたりもするが、結局自分の今の苗字は自分の父の苗字(母のではなくて)ではないか」

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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