思いを込めた子どもの姓
(10/23付の続き) 僕の苗字は、父のものだ。母のものではない。更に、それがもともと祖母のものだったのか祖父のものだったのかは、実はちゃんと知らなかったりなんかする。 別姓夫婦の僕たちの子どもの姓はどうするか。もう子を持つことはほとんどあり得ない歳になったので、現実的ではないが、持った場合を想定して考えてみることにする。 まずは、何らかの基準で、姓を決める。それこそ生まれてみなければわからない話になるが、生まれた月がたまたま同じだったらそちらの方の苗字にする、男の子だったら父親の姓で女子には母の苗字などなど、何らかの思いをこめた決め方をして、その「思い」は周囲に公表するし、もちろん子どもが成長したらちゃんと説明をする。今回の民法の改正案では、「兄弟姉妹の間で姓が異なる」ことは許されてはいないが、実際には子どもが産まれた直後に離婚してまた結婚すれば、結果的にそうすることは可能である。 さて、いかがでしょう。これらの考え方(10/8付, 10/10付, 10/17付, 10/23付)が、僕の思い描く夫婦別姓です。「家族の中に1人だけ苗字の違う者がいたら仲間外れみたいになりそう」「別姓では家族の結びつきが薄くなる」など、同姓論者の方々からはいろいろとお気遣いをいただいているが、ここまで考えてまだ仲間外れが出たり結びつきが薄かったりしたら、それはやはり別姓以外に原因があると考えるべきだろう。 いろいろ反対意見はあろうが、政権与党には、本当に頑張って民法改正案を通して欲しいと思う。特にこの選択的夫婦別姓については、別姓が嫌な人まで全員別姓にしなさいというのでないことは言うまでもなく、別姓も選べますよという話なので、選択の幅を拡げるということは、当然誰にでも役に立つということを反対派の方々にもご理解いただけたらと思う。 それと同時に、「別姓家庭は一体感が云々」とは、やはり「大きなお世話」という感じが拭えない。逆に、「同姓夫婦では、苗字を変えた方が相手につき従っている旧態依然とした雰囲気になりがち」と決めつけたら、おかしいと思うでしょう? それと同じことをおっしゃっていることに、早く気付いて欲しい。(夫婦別姓に関してひとまず、了)
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