お迎え

 8月13日(金)。昼前に着く便で宮崎に向かった僕は、空港から日豊線の特急「にちりん」に乗り換え、日向市駅から宮崎交通のバスで父の待つ町に向かう。 父の待つ「町」とは言っても、実は町村合併で同じ町になっているだけだ。僕が初めて乗るこの路線は、父の生家がある集落からは峠1つ越えた場所しか通らない。 僕が降り立ったバス停には、数時間先に父の故郷に着いていた弟が車で迎えに来てくれていた。かつてこの道は「××越え」と呼ばれ、曲がりくねった険しい道だったのだが、今ではトンネルが2本抜けていて、10分程度で着いてしまう。 やがて僕は、父、伯母(父の姉)、弟の一家4人、伯母(父の兄の妻)に連なる家族数人や両親の友人らと共に、近くの寺に出向いた。翌14日の命日が新盆と重なるので、一周忌のお経を先に上げてもらうためだ。その後、すぐ近くの墓地にある岩倉家の墓に参り、更に盆の送り火を焚く。家へ帰れば今度は迎え火だ。 翌14日は朝から仏壇の周りに提灯を整え、座布団を並べて新盆の法要の準備を始める。そうこうしているうちに、熊本や、近くの町に住む母の兄弟姉妹が車で集まって来る。もちろん近隣に住む父の親類縁者も続々と訪れる。埋葬先をどこにするのか--母方の先祖代々の墓がある大阪にするのか、宮崎にするのか--結局は父の意見を最も重視したが、こういうときの賑わいを見ると、宮崎の方が父は寂しくなくてよかったのかな、とも思う。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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