本当に勉強好き、なのか?
僕は勉強が好きなのだ、と思う。特に働き始めてから、仕事に必要な簿記や障害者自立支援法については独学でかなりやったし、社会福祉士、精神保健福祉士、ホームヘルパー2級の3つの資格は、どれもそれなりの学習をこなさないと取れなかったものだ。 そして今、また学びたいことがある。それが何なのかは事情があってまだ言えないけれど……でも、なかなかそれへ向けて具体的に踏み出さずに、今までと同様に時間を無駄に使っている自分がいる。何故だ? 決心が鈍いのか、意志が弱いのか? 今日、そのこととは全然別のこと(何と、減価償却のことだ)についての本をジュンク堂藤沢店で漁っていて、突然思った。自分の追い込み(追い込まれ方?)が足りないのかも知れない。 僕は「今の僕」から、いろいろな意味で脱したいがためにその勉強をしようと思ったはずだ。 大学を出た当時の伊高浩昭さん(ジャーナリスト)が「まだ階段の最初の段に足をかけている自分を見つけた」ときの軽い焦り(彼の著作「青春のメキシコ」より)。羽田空港の地上職員をしていた加藤祐子さん(気象予報士)が、その職を敢えて捨てて、退路を断つ形で予報士の資格に挑戦したときの思い切り(共著「わたしたちも受験生だった」より)。そんなものが2人の心の中の何かを突き動かして、変化をもたらした。この頃の彼らと僕との間に大きな違いがあるとすれば、年齢ぐらいだ。 僕は、やる。勉強を始める。ちゃんと時間作って始めるためには、「事情があって云々」とか言っていないで、ちゃっちゃと先に宣言してしもた方がええんかも知らんけどね。
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