¡Tantos Cambios! (1)学生生活
今年の4月に進学、5月に転職と、相次いで僕の生活が新しくなった。慣れないままわさわさと走ってきた4か月だったが、ようやくその間の変化を振り返ってみようという余裕ができた。 一番の変化、それは「すっかり学生さんになった」ということだろう。学生、それも修士課程というのは想像していた以上に「並大抵のこと」ではなかった。 他の通信制大学院がどうなのかは知らないが、僕が入ったところは通学制の「授業に出ること」や「何かを提出すること」にあたる行為を全てネットで行うのだ。 授業で教科書の当該箇所について教室で議論する代わりに、ネット上の掲示板に意見を書き込む。レポートを教務課に出す代わりに、ワードで書いたファイルを、その掲示板の「レポート提出場所」に送る。四年制大学時代、僕は議論などせずにのほほーんと単に出るだけだった講義の方が多かった。それに比べれば、たった選択科目4つ分とは言え、まるで毎週ミニレポートを書いているような大変さだが、本チャンのレポートについては、例えば「7月26日締切」なら7月26日の23時59分に投稿してもとりあえずはセーフなので、便利である。 同期生三十余名は、北は北海道から南は熊本県まで、日本全国から集まっていて、四大を出てすぐに入った1人を除いて全員が既卒者である。その仕事内容も様々で、話をすると本当に勉強になる。横浜で障害者福祉の仕事をされているOさんには、7月のスクーリングでお会いした際に「西口に呑みに連れて行って下さいよー」とねだっておいた。 その同級生たちが、それぞれの知識と経験を生かしてネット掲示板上で書き込むものだから、それはそれは面白い。「この人の書き込みは必ずチェックしよ」と思っている人が、僕には実は数人いるのだ。 ただ、掲示板上の書き込みはまだいいとして、本気で書かなければならないのは修士課程のレポートであり、修士論文なのだ。僕にとって、今まで書いたことのない水準のものであることは言うまでもない。「こうれいしゃふくしって、たいへんだなあとおもいました。おわり」では話にならないのである。 また、とにかく修論へ向けての展開が速い。まず、入学願書と一緒に出した研究計画書が4月の最初のスクーリングでひとりひとり俎上に載せられ(あの授業が終わったあとの教室のどよ~んとした空気は未だによく憶えている)、第2次修論計画書提出締切が6/26、第3次がつい先日、7/18だった。 よく考えてみれば(みなくても)修士課程は2年間。学士の時の卒論も、3年生の初めに手をつけたではないか。それを考えれば、修士の2年間が、修論を書くためだけの2年間であっても、何ら不思議はないのだ。 「司法福祉論」の書き込み画面。いつぞやここで触れた「19歳のキム・ヨナ選手が酒を飲んだ話」は、担当のセンセに結構ウケた。
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