『大丈夫』の罠

 時は1980年代も終わりに近づいたある日曜日、キリスト教会での結婚式。新郎・新婦2人共、僕の友だちだった。式の公式な部分は終わり、何人かの関係者が代わる代わる、一言ずつメッセージを告げる段に移った。 その何人目だったか、僕は牧師から指名された。よく披露宴の開始前に「これこれの段階でご挨拶をお願いしますので、ご準備をよろしく」と耳打ちされるのとは話が違う。正真正銘、打合せなしの抜き打ち指名、ぶっつけ本番である。YMCAの青少年活動のボランティアをやっていて、そういうのには慣れっこだった(はずの)僕は、「はい」と答えて席から立ち上がったそのとき、「大丈夫、俺は落ち着いている」と感じた。 ところが演台に向かって歩き出した次の瞬間、僕は不覚にもマイクロフォンのケーブルにつまずいただけでは飽き足らず、そのケーブルを差し込み口から引き抜き、更にはプラグ部分をひん曲げて使い物にならなくしてしまう。スピーチは幸いに滞りなく進んだが、「自分で『大丈夫』と言い聞かせなければならないときは、本当は『大丈夫ではない』と思え」という教訓を得た。 あれから25年近く。僕は先週、ある部分「自分の力ではどうにもならない」、「イタイ」体験をした。でも、「誰もが経験していることだから」「誰かが悪気があってこうなったわけではないから」自分は大丈夫だと、力が及ばないと感じたときの徒労感を自分の中で処理しようとした。 明けて今日、月曜日。そのこと以外にたくさん考えることや心配事があって、うまく進んでいるとは言えないからでもあるが、どうも今の僕の心は、やっぱしそんなに大丈夫やないことに気がついた。そういうときに、25年前の出来事を不意に思い出した。 「大丈夫」と言い聞かせなければならないのは、「大丈夫ではない」証拠。「大丈夫ではない」自分を、(今日は仕事が休みなので、明日の火曜日になったら)ちゃんと開示しよう。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

0コメント

  • 1000 / 1000