闘将、逝く

 西本幸雄さん(元・社会人野球別府星野組、プロ野球大毎オリオンズ、阪急ブレーブス、近鉄バファローズ監督)が、11月25日に亡くなった。享年91歳。 西本さんは僕にとっては、昔「日本シリーズを必ず関西でやっていた時代」を作った名監督である。1968年から72年までの阪急の5連覇と、1979・80年の近鉄の連覇はいずれも西本さんの手によるものだし、この頃以降のブレーブスの黄金時代の礎を築いたのは紛れもなく彼だと僕は思う。1981年、彼の監督としての最終戦(近鉄・阪急戦、日本生命球場)には、大阪の予備校に通っていた僕は行きたくてウズウズしていたことを思い出す。 「名選手必ずしも名監督に非ず」どころか、最近は「それ、誰?」と言われるくらい選手としてはそれほど有名でなかった人が、監督として手腕を発揮したりする。故・仰木彬さん(元・近鉄バファローズ、オリックス・ブルーウェーブ、オリックス・バファローズ監督)や小川淳司監督(東京ヤクルトスワローズ)が好例だが、西本さんも選手としては2割4分ほどの平凡な成績しか残していない。にもかかわらず監督としては、大毎時代の1963年以降8回の優勝を誇る。更に、実はプロ入り前にも、別府星野組で選手兼任監督をやっていたというのだから恐れ入る。本当にこの人は、生まれついての監督だったのだ。 30年ほど前の、大阪市営地下鉄の車内広告に榊原郁恵さんと登場し「ワシは、郁恵ちゃんが生まれた頃にはもう監督をやっとった」と微笑む西本さん。大阪駅前第3ビル「日本料理・河久」のテレビコマーシャルに会社の上司という雰囲気で出演して、若い部下に「ちょこちょこ、連れて行ってます」と訥々と語る西本さん。ブレーブスの球団名変更の折に、「プロ野球ニュース」(フジテレビ/関西テレビ系)で「何か私らが悪いことしたみたいですよねえ」と不満げに語っていた西本さん。そして1988年、あの川崎球場の「10・19」の日のまだ試合が続いている時間、球場に入りきれず外で吠えていた僕たちの前をうつむき加減に去って行った西本さん……ひとつひとつの姿がこれだけ甦ってくる野球人って、あまりいないのではないだろうか。愛すべき西本さん、安らかに。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

0コメント

  • 1000 / 1000