求職戦線継続中

 前の職場を離れて3か月が経った。 4月に最初にやったのは、初めての失業保険の手続だ。自己都合退職の場合は、失業保険を受け取るまでに3か月間の「待期」というのがあって、実際に初回の保険金が支給されるのは8月の末、退職から4か月余り経ってからになる。 これと並行して、もちろんハローワークやかながわ福祉人材センターへの再登録、「シニア・ジョブスタイル・かながわ」(40歳以上の中高年の就職希望者の総合相談窓口)への登録もした。これらの機関が主催する就職支援セミナーへも出席する合間に、めぼしい募集があれば応募もしたし、面接に漕ぎ着けたところもある。 この間、目指す仕事の種類は微妙に変化している。そして、例えば職務経歴書1つ取っても、求職活動の一番最初の頃と今とでは少しまとめ方が変わっているので、名前と住所を伏せてしまえば同じ人間とはわからないかも知れない(そこまで言うと大げさかな)。でも変わらずに譲れないこともあって、そこは大切にし続けるだろうとは思う。 「これぞ」と思う仕事が見つからなかったり、単発のアルバイトで極度に疲れる思いをしたり、そしてもちろん不採用の連絡が来たりすれば冷静ではいられない。でも、いくつか新しい発見や楽しい思いもしている。(1)単発のバイトでの新しい発見--モノの向こうに見えること 学生時代にも様々なアルバイトをしたが、このひと月ほどの間の仕事の種類も相当なものだ。新規開店の量販店の商品陳列、世論調査、家具運び……それらの中でも、扱う物の向こうに何かが見える仕事はとても興味深い。 例えば、先日やった開票作業。僕が担当したのは投票箱から出した票を候補者ごとに分ける仕事だったが、その1枚1枚に、投票した人たちの思いがこもっているのを感じた。これって、既に印刷されているものに印をつけるやり方ではなくて、候補者名や政党名をいちいち書くことになっているこの国の投票方式のよいところではないかと思った。議員に立候補しようという人は、「あなたの1票を」と言う前に、1度はあの作業に参加して、ひとりひとりの熱意を肌で感じるべきではないだろうか。 こういう経験は、働きたいと願う障害者を援助する際にたぶん役に立つのだろう、25年前に大阪で七福神のアルバイトをした話と同様に……。 これはバイトとは関係ないけど、このあいだメキシコから久々に友だちのラウラ(僕の隣にいる女性)が東京に来たときの写真です。それ以外の4人はこの直前に成田に着いたばかりの(つまりこれが日本で最初の食事だった)家族。 (2)(3)はまた後日書きます。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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