今はまだ不可能な『ニューヨーク経由ハバナ行き』
2010年12月、2人で行ったソンの故郷、サンティアゴ・デ・クーバのホテルの屋上で撮った写真だ。この美しい街の人たちは、今回のニュースをどう考えているのだろう。 昨年末、時をほぼ同じくしてキューバ・アメリカ合衆国両方から「国交正常化交渉を近々開始する」との発表がなされた。2008年にラウール・カストロがキューバの国家評議会議長となり、USAではバラク・オバーマが大統領の任期を2年あまり残すのみとなった(昨年末現在)状況の下、こうなるのも時間の問題だと僕は考えていたとは言え、現実にそうなってみるとやはり感慨深い。 韓国と日本との間に国交がないと仮定すると喩えるとこうなる……成田と仁川の間はもちろんのこと、福岡と釜山との間にすら定期航空路は開けず、中国などの第三国経由でないと行き来はできない。わずか200kmしかないこの距離を行くのに、わざわざ北京あたりに一度寄らなければならない。 すぐ隣の家なのに「こんにちは~」と気軽に挨拶には行けないし、モノを買ってももらえない。USAとキューバの2国間の間に横たわるそんなミョーな状況が、復交すればすぐに改善されるに違いない。ハバナ・ニューヨーク間などに定期航空便が復活し、「遠くて近い隣国」からの人も、モノも、国交正常化後に飛躍的に伸びることは確実だ……なんて悠長なことを言っていたらさに非ず、毎日新聞の朴鐘珠記者によると、復交を待たずとも、早くも「(2014年12月)16日以降、今まで教育など限られた目的でしか許されなかった米国民のキューバ入国条件が大幅に緩和され」、「これまで毎月100人程度だった米国人団体客数は、国交正常化の方針が発表された12月17日以降の1カ月半で1200人を超える勢いを見せている」らしい(下記リンク参照)。「近くて遠かった『最後の楽園』米国人旅行者急増」 ここに「団体客」と書いてあるのは、30年ほど前日本人もそうであったように、渡航が未だ団体旅行のみに制限されているというのは考えられる。しかし、1月21日からいよいよ両国高官級の協議も始まったし、そんな縛りもすぐに撤廃されるだろう。 50年にわたって敵対関係にあった2つの国に、国交が結ばれる。今までハバナにあるはずがなかったUSA大使館と、ワシントンD. C.に存在し得なかったキューバ大使館が設置されることになる。 この出来事は、これからのサルサの歴史にも何らかの影響を及ぼすかも知れないと思う反面、サルサは今でもNY、LA、PR、コロンビア……と、同じ国内や国交がある国ごとでもそれぞれの場所で特徴を持つだけに、ダンサーやミュージシャンの交流は活発になる可能性はあるが、踊りや音楽の性格そのものに大きな変化は訪れないような気もする。 ただ、今までカナダ、ヨーロッパ各国と日本にばかり渡っていたダンサーたちが、ある程度USAに行きやすくなれば、今後その分持って行かれてしまうかも知れないという軽い焦りはある。「持って行かれない」ためには、僕たち日本人が、いかに的確にキューバ文化を理解し愛しているかをちゃんと表現する必要がある。そのために、ルンバを、ソンを、マンボを、もっとしっかり踊れるようになりたい。
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