闘病記・手術から7か月目の総集編(1)(2005.8に記したものの再録)
(1)「病気」って?( 「キューバン・サルサ日記」2005.8.24掲載) かなりの部分「闘病記」ともなっているこの日記。事実、そういう捉え方で読んで下さる方もいるようである。 一方、たまたまここへたどり着いて、「サルサ日記」なのに病気や何やと書いてあって、訳のわからない思いをしている方もいそうだと思う。自分で読み返してみても、意外と病気についての記述は断片的でまとまりがないし(特に退院後)。そこで僕はここいらで、僕の病気についてまとめて書いておく必要を感じた。 まず今日はここまでの経過を駆け足でおさらい。明日は「今」の僕の状態を、ダンサーとしての現状を含めて書く。そして明後日は、僕が今回この病気になって知ったこと、悟ったことや変わったことを掲載する。 この病気はおよそ1万人に1人の発生率、これを読んでいるあなたにとってもそうそう出会える病気ではない。あなたやあなたに近い人がこの病気になるならないに拘わらず、この文章があなたの役に立つことを祈っている。なお、このシリーズにはあまり「ダンス」が登場しませんが、今回限りのこととお許し下さい。こういうことを全て含めたのが、ダンサーせんべの人生ということで。 (この総集編(1)(2)(3)のダイジェスト版を昨日BCCで何人かの友だち・知人にメールしたら、早速SHJの渡部さんや新居田くんからお返事をいただいた。感謝)①発症から手術・退院まで 昨年11月20日夜、僕は自宅で突然「けいれん発作」を起こして意識を失って倒れた。一緒にいた妻が119番通報し僕は救急車で病院に運ばれる。1日半経ってやっと目覚めた僕を待っていたのは、発作の原因として「脳腫瘍が考えられる」という判断だった。 頭蓋内の腫瘍という場所の性格上、一部取ってみてフタをして、組織検査をしてみて結果によってもう一度開頭手術、というのは患者にとって負担が大きく、現実的ではない。事前の検査を尽くして、言葉は悪いが一発勝負、摘出手術だ。セカンド・オピニオンを求めに行った病院でも、病気に対する見方は同じであった。なお、これだけ医学が発達していても、脳腫瘍の原因は未だ断定されておらず、それは僕の場合も同様である。 12月初めに一度退院し、年明けに再入院、1月25日に摘出手術。退院はその半月後の2月10日であった。②投薬・点滴治療 発症以降、今も抗けいれん剤は服み続けている。それに加え4月末から、新たな治療を始めることになった。手術後に撮った画像では腫瘍が残っているように見えないが、脳という部位はその構造上、画像に映らない場所に僅かな残存腫瘍がしみこんでいる場合があるので、それに備えて「残っているかも知れない腫瘍を叩くため」に週1×3回、1回あたり約半日の点滴治療を行うことになった。 ところが、その点滴を終えて3週間目、肝臓機能を示す血液数値が極度に悪化。医師からは「できるだけ安静」を指示された。その頃、ずっと週3を保ってきた出勤をやっと増やせる気がしていたので、頭をコンガでガーンと殴られたような感じだった(別にボンゴでも、センセーロでも何でもいいんですが一応コンガ)。 約10日間、どこかへ出て行くわけにもいかず、ずっと自宅で悶々と過ごしていた。でもこの間、いろんなことを考えた。退院後ずっと考えてきたことの総決算と言ってもいいだろう。この期間にふっきれたことは結構多い。「出勤日を増やせそうな気がしてた」なんて言っても、実は連日仕事から帰るなり布団に転がり込んで、一眠りしてからでないと夕食にならなかったほど、相当疲れていたのは確かなのだ。 10日間の安静の後の検査では、僅かだが快方に向かっていることが証明された。肝臓の異常の原因はおそらく点滴治療であろうとされ、6月末と8月末から同様に2シリーズの治療をするはずだったがとりやめた。7月中旬の検査でほぼ平常値に戻ったので、投薬も副作用止め等は全て外して現在は抗けいれん剤1種類のみになっている。
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