500系のぞみ

 今、この文章は西へ向かう「500系のぞみ」の車内で書いている。アップロードはたぶん大阪でするでしょう。文字色はJR西日本のシンボル・カラー、青ね。 母が入院して2か月。リハビリテイションを集中的にやる「回復期リハビリテイション病棟」(→リンクは「全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会」のウェブサイト)に転院するとすれば今しか機会はない(これ以降は認められることさえなくなり、この種の病棟でのリハビリへの道は閉ざされてしまう)。彼女の病状が転院に適するものなのかどうか、看病している父に、主治医に早く訊いてくれと言ってきたのだが、なかなか実現しないうちにギリギリの時期まで来てしまった。 自分の脳腫瘍のことでセカンド・オピニオンを求め、理解した上で治療を続けてきた僕としては、何かわからんまま時間ばっかり過ぎるっちゅうのは我慢ならんのだ。奈良県に住んでる弟はまた別の文脈で父にやいやい言うてるし。 そこでこの日・月と、神奈川の自宅に取り寄せた、実家に程近い「回復期リハビリ病棟」3院のパンフレットを持って、大阪に向かっているのだ。実家で、父と弟と、転院についての相談をするために。幸いに父が、月曜に主治医との会談をセットしてくれた。僕は大和から電話して、2つの病院の見学を予約した。 中学生の頃、当時宮崎県は延岡市の県立病院で寝たきりだった母方の祖母(1981年没)を、1泊か2泊だけで見舞いに行ったことを突然思い出した。 大阪から宮崎まで1・2泊で行くという、当時としてはある意味贅沢な旅を、なぜ敢えてしたのかという部分は思い出せない(実際、亡くなるまでにはまだしばらくあったわけだし)が、フェリーに乗って行くのがやたらと楽しかったことの方は憶えている。何をやっても嬉しい年頃であったにせよ、「人の見舞いに行くのにこんなに喜んでてええんかい」と子ども心にも少し自責の念があった。 そして、今日。まずは、「喝!」を観てから(TBS「サンデーモーニング」の、大沢親分と張本勲さんのスポーツ・コーナー)乗れる新幹線を予約しようと思った。その上僕の好きな「500系のぞみ」にこだわると、新大阪着は14時台、自宅に着くのは15時半頃になってしまう。奈良県に住む弟も交えて話さんといかんことを考えると、大沢親分と500系の両方は取れない。 それで、一旦は500系の方を捨てて、テキトーな列車を予約しようと考えた。でも最終的には、もう1本早い、新大阪12時台着の500系にしたのである。 なんで500系に乗りたいかって? 電車の写真撮りたいから、まずはそれ。写真撮影だけのために駅に行くていうのは、僕にとっては全然意味がなくて、「これが僕の乗ったのぞみですよ」ていうことが意味を持つのね。あと、500系は車内の独特の形が好きです。 考えようによっては、母の見舞いに帰るのに、500系だ700系だなんて言っているのは不届き千万。病床にいてるお母はんが泣きまっせ。 でもね、僕は今日思た。てゆーか、自分に言い聞かせた。 かめへんわ、全然。同じ見舞いに大阪へ帰るんでも、何ぞ楽しみないと、しんどうてやっとれまへんわ。700系やのうて500系を敢えて選ぶことで、多少なりとも元気が出て、その先に前向きな答えが見つけられそうなら、そないしましょ。もっとも、14歳の頃の僕が、これとおんなじことを考えとったとは到底思われへんけどね。 僕にとって日・月はレッスンの日だ。前回の月曜からバレエも再開したばかりだったのに、早速休むのは心苦しい限りだ。でもそれだけに、実りある、納得できる話をして大和に帰って来たい。 おまけ。今僕のPCの壁紙は自分で撮った500系です。↓これ。右下の人がたまたま「551蓬莱」の紙袋を持ってるところがめっちゃ新大阪ー。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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