オマエの時代は終わったんや!

 えー、大阪を出て18年のせんべです。昨日「あー、やっぱしウメチカ(現・ホワイティうめだ)の地理はよう憶えてるわー」なんて考えながら歩いてたのに、しっかりフコク生命ビルから谷町線の東梅田の駅に行く道を間違えて、いつの間にか「泉の広場」に出てしまいました。 でも、「いやー、フコク生命から東梅田てこんなに遠かったかなー?」て思いながら歩いてたんは、ちょっとまだ土地勘が残ってたっちゅうことやと思います。で、この部分の字は谷町線色、紫、と。 どっちにしても、地元民しかわからんローカルな話題で始まってすんません。 昨日、大阪では25回目になる「大阪国際女子マラソン」が開かれていた。実家に結構近いところを走っているこのレースだが、大阪にいた頃も僕は一度も観に行ったことがない。今年も、せっかく大阪にいるので、新大阪から実家への帰路、途中下車してマラソンコースに行こうかという考えもあったのだが、新しい「ヨドバシカメラ・梅田店」に寄ったりしていたら時間ばかり経ってしまった。 29日に神戸の生田神社に参拝した、清原和博選手(オリックス・バファローズ)の写真を1面に載せたスポーツ紙は大阪では複数あったが、「サンケイスポーツ」ならマラソンの特集が必ずあるだろうという期待もあって買った。果たしてそこには、2ページを使って、25回の全優勝選手の写真入りで「歴史を振り返る」記事があった(サンケイスポーツ大阪本社版、1月29日付6・7面。80年代に優勝したキャリー・メイ、可愛かったなあ……)。 その特集の目玉と言えそうなのが、増田明美さんのロング・インタヴューである。 その中で彼女は述べる。84年のこのレースでLAオリンピックに選ばれたが、五輪本戦では途中棄権。その後、4年ぶりの復帰レースとして選んだのが、88年のやはり大阪国際だった。 しかし、彼女はトップ集団どころか、第3集団での追走となる。「沿道から男性の『増田! オマエの時代は終わったんや』という声が聞こえたんです。これはショックで、足が止まっちゃって、100mぐらい歩いちゃいました」 「それまでの私は先頭集団を走っていると、そのままゴールに行けました。でも、先頭集団を走れないと弱さが出てしまう。歩いているうちに冷静になれた。ここで棄権したら苦しかった4年間と同じになってしまう……と言い聞かせました」 「長居公園に入ってから、涙が止まらなかった。自分の気持ちにケジメがつけられると、人は変わりますね。生活していても1日1日、自分が変わっていくのが分かった。翌日の新聞には『増田がソウル五輪の出場を逃して泣いていた』と書かれたんですが、違ったんですよ。あれは、嬉し涙。カッコ悪いレースになると、やめていた私からの卒業でした」 正直言って、僕はテレビ解説者としての彼女はあまり好きではない。たくさんの選手に話を聴く、その取材力は素晴らしいが、果たしてそれが実況放送の解説に必要な資質かと言えば、僕はそうではないと考える。そういう力は「書く」仕事でだけ発揮していただいた方がよく、僕は今日もテレビのマラソン放送を観ながら「えーから、レース展開に集中してくれー!」とツッコミを入れている。 でも、それはそれとして、人間として、すごおおおおく深いところを彼女は通り抜けて来たことを僕は知った。自分を知って、変わる。自分を悟って、変わる。素晴らしい。 このコーナーの文字は、大阪国際女子マラソンのかつてのスポンサー会社のイメージ・カラーにしてみました(僕って、色に凝りすぎ?)。 >よねちゃん あ、そんなに「すっごい形」ですかしらん? 「大阪弁が抜けてる」? 何をおっしゃいますやら、あなたの言葉には、今こっちで観てる、大阪の民放のローカル放送に出てくるアナウンサー程度には、関西イントネイションがしっかり混じってますよ。←わかるひとにはわかる、この「程度」。>トモキシマさん そーでしょそーでしょ、やっぱしオトコもダンスも見る人がちゃんと見ると違うよね! 500系はこの写真、700系は「カモノハシ」です。もし撮れたら今日帰りしなに写真撮ります。>イサくん というわけで↑今日です。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

0コメント

  • 1000 / 1000