1度は開催国旅行もしたい-W杯の楽しみ方(その3)

 グロッソの5本目のペナルティ・キックが決まると共に、ワールド・カップが終わった。アッズーリを包む歓喜の渦。キャプテンのファビオ・カンナバーロが優勝杯を掲げた瞬間に、紙吹雪が吹き出す。世界で彼らだけしか経験できない、最高の時だ。↑これはアンドレア・ピルロ、この試合の最優秀選手ですね。 ずっと前、「国によってはオリンピックよりも盛り上がるスポーツ・イヴェント、サッカーのワールド・カップ」なんて話を聞いて、「そんなふうに、少なくとも日本ではなるわけないわい」と思っていたら、いえいえもーすっかりそないなりましたがな。僕の中でも完全にオリンピアードより地位が上。 実は、6月の24日、決勝トーナメント1回戦でメキシコがアルゼンチンに敗れたときに、僕のW杯はほとんど終わったも同然だった。しかし、朝の5時に目が覚めるともぞもぞ起き出してテレビを点けたりするし、そして今朝の決勝戦ともなるともちろん話は別である。しっかり早起きしてテレビの前に座った。 ただ、昨夜は帰りが遅かった。帰宅して風呂に入って、ようやく床に入ったのは午前2時。決勝戦の試合開始は午前3時である。とりあえず半時間だけ眠るべく目覚ましをかけた。 ところが、踊りの練習で疲れた身体は簡単には起きてくれない。結局布団を出たのは、後半が始まった午前4時10分頃だった。それでも最初は眠たくてたまらなかったが、何とか後半・延長前後半と観とおした。そして延長後半に起こったのが「あの」頭突き事件である。 何に苛立っていたにせよ、こともあろうに頭突きである、しかも天下のジネディーヌ・ジダンが、しかもこの試合で引退する人間が、だ。この一件で、彼は自分のサッカー人生を全て台無しにしたと言っても過言ではない、そんなレッド・カードだった。ジュール・リメ杯の横を彼が去っていった瞬間から、なーんとなく「イタリアのPK勝ち」がもう読めた、と言うと言い過ぎだろうか。それほど彼の退場は、オリンピア・シュタディオンの雰囲気を一変させた。 前回大会は僕も観光案内で参加した。だから全然今回の大会とは「長さ」の感じ方が違う。本当に今回はすーぐ終わった気がする。そのときの通訳仲間(イタリア語)の何人かに「決勝戦どこで観るのー? 特別な場所で観るんやったら混ぜてー」とメールしたが返事が来なかったということは、こいつら実はドイツまで行ってて、今一緒に喜んでるんとちゃうか? 次回大会は2010年、南アフリカ共和国。時差はヨーロッパとあまりないとは言え、気候はそれなりに違うでしょう。別にそれだけの要素でサッカーの勝ち負けが決まるわけやなかろうが、次回はもうちょっと頑張ってくれスペイン語諸国、そしてアジア代表!

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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