はじめての「御使い(みつかい)」--クリスマス・イヴ(3)
以前このブログに「アジアのどこかの国では、クリスマスの『恋人と2人で過ごすロマンティックな日』としての部分だけがひとり歩きしてしまっている」と書いた。僕はYMCA(結構有名な団体やけど、日本語では「キリスト教青年会」なのです。ただ、正しく訳すと「キリスト教徒青年会」になる)で子ども相手のボランティアをやっていた学生の頃から、「クリスマスはクリスマスとして」祝うのがこだわりだった。 12月24日には、必ず教会へ行く。好いたらしい女の子がいたら「その娘を誘って教会に行く」という方針だった。もちろん女の子がいなければ、1人でも行く。 日本基督教団・西宮公同教会(兵庫県西宮市)は、いろいろ世話になったし、今でもなお世話になってるし、思い出深い教会だが、クリスマス・イヴの礼拝に行ったのは後にも先にも1985年の1回だけ。 一通りキャンドル・サーヴィスが終わって、「おい岩倉、行くぞ」と菅澤邦明牧師。「へ? 行くて何ですか?」「今から、信者のうち回って歌唄うんや。近所を歩いて回る者と、車で行く者とに分ける。お前、別に今日は帰らんでもええやろ? いつもみたいに教会に泊めたるから、車で回る方に入ってくれ」 思えばこれが僕にとって「最初のキャロリング」だったのである。 更に、「思えば」がもう1つ。よう考えてみたらなんで「いつものように教会に泊まれ」やねん、なあ。確かにその教会には和室があって、布団も置いてあって、何かの折には泊めてもらったこともあったような気が……。 キャロル歌って帰って来た僕は、教会付属幼稚園の職員室で、えんちょー(菅澤牧師)と日本酒飲みながらしばし語ったあと、2階の和室へ上がっていい夢を見たのだった。むにゃむにゃ……。
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