アンポンタンでもいい、たくましく育って欲しい--里帰り(5)

 地下鉄長原駅を上がったところの「ローソン」のアイスクリーム売場に、見慣れた4人連れがいたので、黙って近づいて後ろから襲った。そう、僕たちの両親の家から駅を越えた反対側にある、真田幸村ゆかりの「志紀長吉神社」へ行った帰りの弟一家である。 甥、K、5年生。姪、H、3年生。僕が脳腫瘍の手術前だったので2年前・04-05年の年越しは大阪へ帰らなかったため、1年前・05-06年の年末年始が2年ぶりの再会だった。そのとき、2人とも「やっとまともに話ができるようになった」と感じたのを憶えている(「まともに遊べる」のと「まともに話ができる」のとは違うのだ、少なくとも僕にとっては)。 サッカー少年でもあるKは、いつの間にかアメリカン・フットボールにも明るくなっていて、「攻撃権が交替する場合を全て挙げよ!」なんて問題を出してくる。「え、えーと、……10ヤード進まれへんときでしょ、インターセプトされたときでしょ、それから……」「ハーフ・タイムのあと」「おお、そうか」 弟が昔よく「Kは俺よりも兄貴に似てる」と冗談めかして言っていたが、こういう不思議なことに詳しいところは確かに僕に似ているかも知れない。 弟の家に電話すると、Hが出る確率が高い。彼は子どもたちに、僕のことを「ヒゲのおっっちゃん」と教えているようで、「もしもし、H、元気かー? 智久ですー」と僕が言うと「ああ、ヒゲかー?」と返してくる、チョーシのいい奴だ。むしろコイツのこういうところの方が僕に似ているような気がする。 そのまま連れもって家に帰って、遅い昼ごはんを食べ、トランプをして遊んだ。七並べでもコイツらとならこんなに面白いのは、なぜなんだろう。 僕らもいつの間にかお年玉を配る立場になっている。別にお礼を言われるためにお金をあげているわけではないけれど、「大切に使って下さい」と言って渡して、「ありがとう」と言われると、やっぱり気持ちがいい。昔「ワンパクでもいい……」というコマーシャルがあったけれど、もうどんなアンポンタンでもいい、人にお礼さえちゃんと言える奴であれば、と心から思う(彼らがアンポンタンだという意味ではありません、念のため)。 今年年男のKが持つ、正月仕様の神戸文明堂のカステラです。 翌日、箱根駅伝での順天堂大学の往路優勝(今井正人・5区上り坂の大逆転!)を見届けたあと、阪急百貨店梅田店の新春初売り経由で僕たちは帰路についた。 こんな感じで、僕の帰省期間は矢のように過ぎていったのでした。何と内容の濃い、正味4日間やったことでしょう。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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