さらば市民病院リハビリ室、そして……
主治医のMさんの「終わり」というのは、どうやらただ単に「抗生物質を服むのを『終わり』にしましょう」と言っただけみたいでしたね。でも、今日で藤沢市民病院でのリハビリは僕から申し出て「終わり」にすることにした。今日の診察以降、3週間ほどに1回ぐらいの、診察のみの通院になるので、市民病院に行く回数はぐっと減る。 思えば、いっとー最初にここへ行ったのは、雨がしとしと降る9月の朝。カッパ着ている上に慣れない松葉杖で、しかも右脚は膝上までのシーネ固定(板だけ当てて、包帯でぐるぐる巻きにするやり方)というとんでもない不自由な身体で、藤沢駅からタクシーで向かった。 そのまま帰らず入院、手術と続いたから、次にここへ行ったのは退院してからだ。最寄り駅の藤沢本町から松葉杖つきつき、えらい時間かけながら行ったっけ。右脚にはまだヒールつきのギプス・シャーレ(フタとミに分かれる形のギプス)という頃だ。こらなんぼなんでもしんどいということになり、主に最初の頃は藤沢駅からバスで通院していた。六会日大前や湘南台駅からバス、善行駅からタクシーなんてこともやったことがある。 それもやがて、ギプスが外れ、徐々に歩けるようになって、松葉杖も要らなくなって……と僕の状態が変わっていくに従って、いつの間にか藤沢本町駅から歩いて往復するのがごく当たり前になってきたのだ。 そして、約4か月半目の今日。市民病院最後のリハビリをやって、お世話になった担当理学療法士のHさんや、リハビリテイション室クラーク(事務員)のTさんに挨拶して、4か月余り通い続けた部屋に別れを告げた。 さて、「市民病院でのリハビリを自ら打ち切る」に至った経過は、今日の題の「そして……」の部分に表されているし、それから1/25に書いた「ある展開」ともちろん関係があります。たぶん明日詳しく書きます。
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