我が青春のこどもセンター
1/5付で書いたとおり、「E. ストローム記念山王こどもセンター」の自主運営20周年記念誌に、一昨日の締切日ギリギリに寄稿したその文章をここに載せる。ただ、実際には「600字」という限りがあったので、これは「もしその制限がなかったらここまで書きたかった」というものです。***************************************僕の「原体験」の場所、こどもセンター岩倉 智久(いわくら・としひさ)ボランティア(1984夏キャンプ-88.3)現在神奈川県在住 野外活動のボランティアをしていた大阪南YMCAから派遣されて参加した、1984年の夏のキャンプ。それが僕の初の「山王体験」だった。あの頃は好奇心と正義感が旺盛で、「俺が貧困を解明したるー」なんていう意気込みの一環で山王に行きだしたのだが、意外とそんなこととは関係なく子どもたちは普通に生きていて、でもちょっと家庭事情は複雑そうな子の比率は高いかも、けどやたら元気な子の比率も高いよな、なーんてことを感じていた。 そんなセンターは、僕が「ナマで子どもに関わる」舞台になった。他の子を傷つけかねないことを言った子を「お前、何考えてんねん!」とセンター前の路上で投げ飛ばしたこともあった。その後彼とは解り合えたと思うけど、マミさん(せんべ注・当時から、今に至ってもセンターを守り続ける姐御肌の職員)、ハラハラさしたよね、ごめんね。 1985年、当時センターを運営していた団体がセンターを手放そうとしたときの、存続へ向けての運動では、Yの仲間から大学の友だちまで、あらゆる人たちに説明し尽くして署名を頼んだ。当時センターに関わっていた者同士は、これで結束を強めたと思う。 土曜の「釜ヶ崎子ども夜回り」(センター自体の活動ではないが)には、ひと冬毎週、終電ギリギリまで参加した記憶がある。この体験からは、本を読んだだけではわからない実感をたくさん得た。 今の僕の、様々な価値観の基(もと)を作ったセンター。子どもたちひとりひとりの思い出も書きたいけど、それはまたの機会に。
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