サルサDJ・Papa-Qさんへの手紙
前略 藤川 Papa-Q様 Papa-Qさん、僕はこのあいだ、なぜか突然思い立って、1997年に「調布市文化会館・たづくり」で行われた、サルサ・スクール "Baila Baila" の5周年記念パーティーのビデオを観ました。 今改めて観ると、すごかったんですよね、あの舞台って。当時の首都圏サルサ・ダンス界のスターたちが一通り出ているのもさることながら、何と作り込まれた構成、何と鍛えられた踊りだったんでしょう。 10年経った今でも、あれを超えるショウ、彼女たち(特にあのスクールの代表格の "Bailadora")をしのぐグループを観たことがあるかと問われれば、僕は即座に "Sí" とは答えられません。 そして、クラブに集まるダンサーやミュージシャン、店員たちの姿を描く第1部 "Club New York" の「入口の用心棒」役とナレーションを務められたのがPapa-Qさんでした。本職のサルサDJとしてのご出演ではありませんでしたが、こんなところでも、しっかり「スター」をこのパーティーは押さえていました。 当時、結構どんなサルサ・パーティーに行ってもお皿を回すPapa-Qさんのお姿を拝見した記憶があります。たくさんの知識、豊かな持ちネタ(CD)、的確な選曲。Papa-Qさんに何かお尋ねすると必ず手応えあるお答え(「手答え」?)が返ってきます。 十年ひと昔、いや、最近は時の流れが速くなって「五年ひと昔」とも言うとか。あれからひと昔だかふた昔だか経って、あの舞台に立っていたダンサーのうち何人が僕たちの前から姿を消していったんでしょう。そんな中で、Papa-Qさんはずっと第一線で活躍してこられた。素晴らしいです。 Papa-Qさんが引退されるというまさにそのときに、僕は5か月前に切った右足アキレス腱の怪我のせいで、未だ普通の速さで歩くのがやっとです。踊ることはおろか、跳ぶことも、走ることもできません。本来なら「引退興行」の、明日24日の「サルサ・ホットライン・ナイト」に伺って「踊ってPapa-Qさんを送る」のが正しいんでしょうが、今あいにくそういう状態なので、Maxへは行けません。 全くもって申し訳ありませんが、僕がずっとダンスを続けていれば、またどこかで何かの機会にお会いできると信じているのですが……甘いかな。 Papa-Qさん、ずっとお元気で。Papa-Qさんからいただいたたくさんのグルーヴに、感謝を込めて。草々 岩倉 千兵衛
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