Recorrido de los jalapeños (4)--皇居へたどり着けるか?
ちょっと間が空いたけど、今日の書き込みは7/20付の続きです。 浅草寺(せんそうじ)の境内にも、しっかり「浅草神社」(あさくさじんじゃ)はありました。 釈迦という唯一神教である仏教と、「あなたや、実在が認められていない人物でさえも、なろうと思えば神になれる」多神教である神道との違い(初代の天皇さえ、伝説上の人物と言われている話までしたぜ)。入口を見れば、そこが寺か神社か見分けがつく話(鳥居のことですねー)。この小さなお社を題材に、いろいろ話して聴かせました。「でも建物の感じは基本的には寺と同じやね」とは、さすが建築家。 ところで、「神仏習合」について尋ねられたのを機に、僕は義江彰夫「神仏習合」(岩波新書、1996)を買って読み始めています。神仏習合ってもっと最近の動きかと思いきや、どうも一番最初は平将門の時代まで遡るらしい。 鳥居をくぐり、お寺の出口でおじさんが手押し車に入れて売っていた helados (アイス・キャンディー)をしばき(おじさん「外人さんに売ったの、初めてだよ」)、今度は2本くらい裏の通りを駅方面に戻る。途中、若い Javier が飴売りのおにーさんの足袋を見て「あれが欲しい」と言いだして、僕がその辺の土産物屋さんに尋ね「そこ曲がっていったところの法被屋さんになら、あるんじゃないですかね」という回答を得るも、結局そこへは寄らず。 再び雷門の提灯の下で集まった僕たちは、銀座線で南へ向かう。さあ、皇居だ! とは言っても、関東へ来て20年、僕は武道館以外の皇居へ足を踏み入れたことがない。そもそも、「皇居」と呼べる場所にどこから入ったらいいかさえ皆目見当がつかないのだ。「ごらんあれが二重橋……」なんていう歌があるくらいやから、とりあえず二重橋前なのか? でもそこに行こ思たら、日本橋と大手町、2回乗り換えんといかん。この大集団にはちょっときつい。さあどうする、皇居を知らない日本人?
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