新・伝統の一戦

 そーなんですよ葦の葉くん!1つ前の書き込みにコメントくれた人)。あの頃は、近鉄・西武戦が「新・伝統の一戦」なんて呼ばれ始めてた。あの、あと1勝でバファローズが優勝をを逃した、いや、あと1点さえ取れば日本シリーズに進出していた1988年から、優勝した89年を経て92年ぐらいまで、毎年シーズン終わり頃になると、毎日毎日骨身を削るような日々が続いていた(選手が、ではありません。ファンでしかない僕が、です)。それほど、ペナントレース終盤の西武・近鉄の優勝争いは年中行事だったのだ。 その、近鉄バファローズ最後の黄金時代の、不動の1番打者だったのが、今回監督代行に指名された、大石大二郎ヘッドコーチだ。だから……  僕にとっては特別な思いがあります。と言うか、代行とは言え、監督になってみて初めて、「特別な思い」があることに気付いた……(08.6.2付当ブログから) 1989年の日本プロ野球パシフィック・リーグは、ペナントレース半ば頃から、西武ライオンズ、オリックス・ブレーブス、そして我が近鉄バファローズの3強が首位を争う、まれに見る大激戦になった。 リーグ戦も終盤にさしかかり、西武が頭1つ抜け出した10月12日、ライオンズは自軍の球場に近鉄を迎え、運命のダブルヘッダーを行う。そこで当時のバファローズの中心打者、ラルフ・ブライアントは、5-1とリードされた6回に郭泰源から放ったグランドスラムを含め、伝説の4打数連続アーチを放つのである。 この日の奇跡的な連勝を経て、翌々日の藤井寺での福岡ダイエーホークス戦に5-2で勝利した近鉄は、前年の「あの日」の雪辱を果たし、劇的な9年ぶりのリーグ優勝を手にする。更に半月後、僕は帰省ついでに藤井寺での日本シリーズ第2戦を観戦しているのだが、大石・新井・ブライアント・リベラ・淡口・鈴木・金村・山下・真喜志という当時のバッティング・オーダーは今でもそらで言える。 「89年戦士」の中から初めて、大ちゃんが(代行やけど)監督になった。一緒に学校を出た、出世頭の同窓生を見る気分で、何だか冷静には応援できない。あの時代と同じようなドラマは期待しないけど、彼なら何かやってくれそうな気がするのは、なぜなんだろう。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

0コメント

  • 1000 / 1000