仮の、運動場
その日、大阪市東住吉区長吉六反町(現・平野区長吉六反)にあった、大阪市立長吉南小学校の、その名も「仮運動場」。 大阪市南部の一大ターミナル、天王寺からバスで1時間弱。5階建ての市営の中層団地が次々と新築され、高度成長時代の当時なりの「新興住宅地」だったその街・長吉長原では、当然の如く小学生の数もみるみるうちに増え始め、その年の1年生は12クラスもあった。当のこの学校でさえも、まだ「授業を始めながらも、追っかけで建設を続ける」という状態だったから、彼らのクラス分けの確認が行われた場所は「仮」運動場だったのだ。 それなのに、1年後には更に分校の設立が予定されていたという、今から考えればまさに「時代を映していた」、そんな学校の入学式。 これは今の時代の写真(長吉南小学校の公式サイトから拝借)だが、今日書いているのは1969年4月1日、今からピッタリ40年前のことだ。もちろん、「彼ら」の中で、1ねん8くみに自分の名前を見つけて喜んでいたのが、僕自身である……今朝、2009年の「9」という数字を見て突然、今年が僕の小学校入学40周年だったことを思い出して、書いてみた。 皆さん、本当の「新年」と違って、「新年度」を強く意識する人とせん人がいるとは思いますが、「2009年度」もよろしくお願いします。
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