ゴールデン・ウィークは(4)--憲法9条と水戸のご老公
☆今日は何の日? ゴールデン・ウィークも、こうもあとからあとから新しい祝日が増えていくと、いつが何の日なのかあまり意識しなくなってくる。昭和天皇の誕生日ということで祝日だった4月29日は「みどりの日」を経て今は「昭和の日」、そのみどりの日は今は5月4日だし、5日は言うまでもなく「こどもの日」。今や3日続けて祝日なので、この3日のどれかが日曜日と重なれば6日が振替休日、ということは7分の3、つまりほとんど半分の確率で5月6日も休みになる。 他が何の日か忘れていいとは言わないが、5月3日は「憲法記念日」、1947年に現在の日本国憲法が施行されたとても大切な日である。「日本国憲法9条を守ろう」という一点で一致団結しようと呼びかけるブログ "Keep 9" にトラックバックを打って賛同表明をした話は以前に書いたが、そのときとはここのアドレスも変わっているし、また最近「9条」についていろいろと考えることもあるので、久々に憲法について論じたい。☆「月パチ」の9条 土曜の8時と言えば、「だめだこりゃ~」。でもある世代にとっては、「あみだくじ~」なのかも知れない。 金曜の8時と言えば、「おいジーパン、調べてこい」。でもある世代にとっては、「3年B組ー!」だったりして。 でも月曜の8時と言えば、世代を問わずに「この紋所が目に入らぬか!」だと僕が言い切ってしまえるのは、やはり歳をとったせいなのだろうか。いや、少し回りくどいかも知れないが、それは、専守防衛を謳った日本国憲法9条の大切さを最近改めて感じ始めているからかも知れない。☆江戸時代の9条 1969年から、配役を替えて連綿と続くTBS系列のテレビ・ドラマ「水戸黄門」。「ただのご隠居」のふりをして日本全国を漫遊する水戸のご老公が、行く先々で悪政に苦しむ罪なき庶民と出会う。悪事が危うく暴かれそうになると、悪人たちは「老いぼれじじい」をナメてかかり「ええい構わぬ! 斬れ斬れ、斬り捨てい!」となる。 ところが滅法強い助さんと格さん、それにお娟と弥七。まさに彼女/彼らを斬り捨てんと向かってくる輩に素手で、或いは、敢えて刀を反対に握り直して峰打ちで立ち向かう4人(それに加えて、ご隠居も結構ビビらずに杖1本で戦っちゃってます)。僕はここに「9条」を感じるのだ。 相手が本当に自分を殺そうと、刃を向けて斬ってくる。それにもかかわらずあくまでも高潔に、今風に言うと非暴力で対応する。これこそ、武器はもう要らない、国際紛争を外交の力で解決しようという、日本国憲法前文の、そして第9条の精神そのものではないか。 この、月曜の8時46分頃の「いつもの場面」をそんな視点で観ている人は日本中にほとんどいまい。まして、ホンマに重要なのはこの直後の「鎮まれ、鎮まれえーい!……ここにおわすお方をどなたと心得る?!」の台詞のはずですよね。 でも、僕が学生時代に見た「あたらしい憲法のはなし」(新憲法制定の際、日本の中学1年生に配られた教科書)の復刻版に載っていた、武器をぜーんぶ壷に入れて、社会的に役に立つもの--今で言うインフラストラクチャー--に変えるというあの素敵なイラスト。 そう、これです、これ。 そして「よその國と爭いごとがおこったとき、……おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。」という文言。黄門様たちの毎週のお働きを観続けていて、僕はどーしてもこれらのものを思い起こさずにいられなかったのだ。☆「持って行かれている場合」ではなーい! バラク・オバーマが「世界で唯一の核兵器使用国として、核軍縮に対して自分たちは責任を持っている」と発言した。「ハイ、今日から全ての核爆弾を使うのをやめます」と言わない限り無責任な言い方だ、と切り捨ててしまうのは簡単だ。しかし、彼のこの言葉を聞いて、私たちの国の憲法の考え方が「パクられた」と思った人は僕だけではあるまい。被爆2都市の市長が彼のこの発言に支持を表明するだけでは足りない。本当は日本の各代の総理大臣が就任するたびに表現を変えて、これと同じ趣旨のことを言うぐらいのことを私たちの憲法は求めているはずだ。 私たちの国の憲法は、その前文と9条で、武力ではなく、世界諸国の民に訴えかけること、即ち外交によって平和を築くことの大切さを説いた。62年も前に憲法にそれを明記した国が、昨日今日大統領になった若僧にお株を奪われていてはいけない。今こそ9条、今こそ水戸黄門、だ。日本国憲法 前文(抜粋)日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
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