コンペティションまでの歩み--信じるものは勝つ
今年で9回目になる「日本サルサ・ペア・コンペティション」。9回目ということは、1回目は8年前、2001年。言うまでもなく、このとき僕は既に踊っていた。サルサも、タンゴも、含アダジオ。 ちょうどこの頃はまだ「キューバン・サルサ・ダンス・コンテスト」が毎年行われていた時期で、僕たちが出るとしたらそっちだった。2004年頃、時を同じくしてこのコンテストが休止状態になり、僕が病に倒れる。僕はダンサーとしてしっかり復活しないまま今度は右のアキレス腱を切るし、ペアコンに合うスケジュールで振りを作るのは今年まで待たなければならなかったのである。 2曲踊るうちの「自由曲」は自分たちの好きなようにできる。とは言え、僕が今まであまりこだわらずにきた細やかさや鋭さを、ちゃんと捉え直さずにいては全く勝ち目はない。 だから振りのご指導をお願いしたのが、竹内雪人さんだった。僕が知っている限りで、日本サルサ界最高のエンターテイナー/コレオグラファーの1人。おそろしくダンディーでいながら、信じられないくらいに謙虚だという点で、人生において学ぶ点まで多い人。 僕がどれだけ雪人さんを好きだからと言って、それだけで踊りを会得できればこんなに簡単なことはない。言うまでもなく、彼が僕たちペアに課した振りの習得は困難を極めた、たった2分の振りなのにもかかわらず。 でも結局は、「信じたものは勝つ」ということなんでしょうか、6/27のサルサ・ペア・コンペティション本番では、何か憑きものが落ちたように気持ちよく踊れてしまいました。 およそ4年半前、全く予期すらしなかった脳腫瘍という病魔を自らの頭蓋骨の中に見つけてから、一番ご心配をかけた方々がSHJピープルだろう(*SHJ: Salsa Hotline Japan; 日本にただ1つと言っていいサルサの興行会社)。そらそうやわな、いっちゃん僕が大変なときに大変な話を「キューバン・サルサ日記」にアップロードしまくってたんやもん。先日のサルサ・ホットライン・ナイトでは、旧知のサル友Cちゃんが涙まで流してくれた。 僕たちの歩みはまだ全然終わっていません。今回選んだ曲がサルホで発表した以外にまだ約1分残っているという物理的な意味だけではなく、今度のサルホに出て、いろんな人たちの踊りを観てみて、自分の中に妙な壁を作らず、いろいろなリズムをやった方がいいと思えてきたのだ。NY on 2, プエルトリケーニョ、そしてもちろんバチャータ、ひょっとしたらウェスト・コースト・スウィングまで……。人生は120歳だと言っているひとに賛成するかどうかはともかく、ダンス人生はまだまだ続くのだ。
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