古田さん、あなたは偉い

 一昨日の金曜日・16日、平塚市市民スポーツ広場で開かれた、県精連(*)のソフトボール大会で、我が「カフェ・ドゥ・そーじゃん」の利用者たちで構成するチーム「ハートブレイカーズ」が晴れて3位に輝いた。(*)神奈川県精神障害者地域生活支援団体連合会。精神障害者の地域作業所・就労支援事業所や地域活動支援センターなどの日中活動のための事業所や、グループホームなどの居住系の事業所の連合体。横浜市と川崎市を除く神奈川県内全域が守備範囲。 ハートブレイカーズは、これまで3回だか4回だかの優勝歴を誇る、(県精連内では)名門チームだが、今年はうまく出場者が集まらず、出場できるかどうかすらギリギリの状態だった。僕は別に野球が上手なわけではないので、「せんべーさんも、代打ぐらいでは出してあげるから、まあ、座って観てて」となるのが毎年のことだったのだが、今年はなんと「捕手としてフル出場」を要請されていた。「どの守備位置でもやったる!」と自ら豪語していたので、しかたのないことではあるが。 すぐ負けるだろうとたかをくくっていた僕だったが、なかなかどうして、みんな結構打って、2つ勝って準決勝だ。これで負けても3位決定戦があるので、更に2試合することになった。 ただ、選手の数は結局、僅か11人。その昔、水島新司さんの「男どアホウ甲子園」で、主人公・藤村甲子園のいた南波高校(なんばこうこう)は、甲子園が3年生の時の夏の大会は部員9人で出た。また、徳島の池田高校や高知の中村高校が、11人とか12人とかいう部員数で選抜大会で準優勝したことをご記憶の方も多いだろう。でも、あくまでもそれは、フィクションだったり、野球の専門家の話だったりする。全くの素人の僕たちが、それをやるってか……? 特に僕なんか、1試合1時間の時間制限があったので4イニングずつやったと仮定しても、4×4で計16イニングズ、延々全球にわたって、投手の球を捕っては立ち上がって返球、と繰り返したのだ。終わってみて思うが、とても日常的にこういうことをやっていない、50近くのおっさんにあえてやらすことでは、ない。 それにしても、これを約半年間のシーズン中、毎日毎日やっているプロの捕手は本当に偉いと思う。僕も、実は最後の方になってきたら何度かめまいがしてきたりしたのだが、そのたびに「1コ下の工藤(公康・ベイスターズ投手)かて今年1年がんばったんや!」と自分を鼓舞した。 その「~甲子園」の、記念すべき第1巻(1971年、秋田書店刊)の表紙です。僕も持ってました。懐かし。 投手の球が飛んでくる時の緊張感は、出番が近づく時のそれに似ていると感じた、不思議な1日だった。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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