女王様が友だちです

 東京で発行されているスペイン語新聞 "International Press en Español" 7月24日号に、「日本サルサ界の女王たち」と題した特集記事が、8人のサルセーラスが写真と共に掲載された。そこに、ミツエさんやリョウコちゃんと並んで、いつもここに書く僕の友だち、アヤちゃんもしっかり載っているのだ!  この記事の執筆者、マリオ・クワバーラさん(*1)は全く存じ上げない方だが、日本に数あるサルセーラたちの中で、我らがアヤちゃんを「女王の1人」に選んで下さったのは嬉しい限りだ。そこで早速このブログに、この記事の前文と、彼女について言及した部分を翻訳してご紹介する。(元記事には、前文・アヤ記事それぞれに改行が全くないので、この翻訳では僕が適宜段落を作っています。太字部分も元の記事にはありません。また、一部「あれ?これって、ホンマに事実と合うてたっけ?」という内容がありますが、それは記事を書かれた方の責任です)********************************* 日本人がサルサを踊るのを見るのは、今や刺激的な体験になりつつある。それは、既にあるスタイルを真似するだけでなく、真の情熱の表現と化していることをもう誰も否定できはしまい。 確かに、日本ではサルサは未だ歴史の浅い音楽だ。また、90年代初めに起こったようなこのリズムのブームが、あまり評価されていないこともまた事実である。ところがそれは別にして、2000年頃以降、日本のサルサ界に女神のように踊る女性講師の一世代が登場したのだ。 彼女たちはほとんど皆、クラシックな踊りで培われた堅固な基礎を持ち合わせており、参加できる限りのサルサ・コングレスに参加してきた。インターナショナル・プレス社は今回、東京の女性サルサ講師の中から、選りすぐりのエリートたちを挙げる。おそらく他にも優れた方がいるとは思うが、ここに私たちが選んだ8人を紹介しよう。彼女たちは、今後ずっと日本のサルサの歴史に名を刻むひとたちになるはずだ。Mitsue, Hiroko, Hiro, Kmicco, Ryoko (5人分省略)Aya スタイルはon 1、東京生まれ。2000年、ロサンジェルスで有名男性サルサ・ダンサーの(*2)ジョシー・ネグリアを知ってサルサを始めた。その後、自らの進む道は、サルサを学びプロの講師になることだと決める。 2007年、夫であるKitaと共に日本サルサ・ペア選手権の決勝に進出し、同年、日本サルサプロフェッショナル連盟を結成。2006年には東京・国立に自身のダンス学校「ブエノ」を開設。ダンサーであると同時にデザイナーでもある彼女は、東京の多くのスタジオやクラブでダンス・クラスを受け持っている。彼女はまた、ベリー・ダンスやアルゼンチン・タンゴの講師でもある。ウェブページ: www.aklatinlife.comHiromi, Hana (2人分省略)*********************************(*1)おそらく「桑原さん」だろうと想像するが、綴りは Kuabara。移民したあとに苗字の綴りが少し変わるのはよくある話らしい。この辺の実態については、リリアン・テルミ・ハタノ著「マイノリティの名前はどのように扱われているのか」ひつじ書房, 2009が詳しい。(*2)天下のジョシーにはあまりにも申し訳ない書き方なので何度も確認したが、やはり間違いなく el famoso bailarín salsero と書いてあった(本来なら女性を表すla famosa bailarina salseraとなるところ)。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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