伝道師のいる街
数々の観光ホテルやオフィス街をはじめ、いくつかの歓楽街を擁する県都の中心駅・宮崎から大淀川を渡り、もうひと駅行った先の南宮崎。ここは、かつて新婚旅行の名所だった青島や、鹿児島県の東の端、志布志(しぶし)などへ通ずるJR日南線が分かれていたり、宮崎交通バスの大ターミナル「宮交シティ(みやこう-)」もすぐ近くにあったりする交通の要所であるとは言え、宮崎駅に比べていくらか静かな街だ。 僕は、宮崎随一のサルサ場「ラ・ボニータ」のママ、ちえさんにご紹介いただいたホテルまでここから10分ほど歩いてチェック・インし、大淀川を望む部屋で微睡みつつ、その店の開店時刻を待った。 日もほとんど暮れた夜7時頃、僕は部屋を出て、いくつかの家でお盆の送り火が焚かれている橘通(国道220号線)を南へ向かう。宮交シティのすぐ手前、階上に住戸もあるビルディングの2階にあるそのお店では、未だ「ちえママ」おひとりだけが、東からの珍来者を迎えるべくボトルを準備しておられた。 昨年、福岡と京都の有名なサルサ場にお邪魔して以来、「そこそこの街には必ずサルサがある」との思いを僕は強くしている。今年の初夏に行った高知にそれが見当たらなかったのは残念だったが、この広い鏡、ゆったりした床、温かな雰囲気を持つ店は、僕にとって絵に描いたような「宮崎サルサの中心地」だった。 やがて、常連のお客さんが三々五々集まって来て、10人近くになる。曲は嬉しいことに、ママの好みと、ちょうど1週間前に福岡に Los Van Van が来た(ママやここのお客さんも何人か駆けつけた)ことで、バンバンやマノリート、チャランガ・アバネーラなどキューバ物がてんこ盛りだった。5組ぐらいで rueda de casino なんかもやってしもたし。 皆さんおひとりおひとりが、この場所とサルサを本当に愛していらっしゃるという感じが、ひしひしと伝わってきた。「いつでも、どこへ行っても踊れる」都会のサルセーロである僕がついつい忘れそうになる「踊り始めた頃の気持ち」を思い出させてくれる、素敵なお店だった。 店がハネたあと、ママと一緒に近くの居酒屋へ場所を移し、宮崎のサルサ事情を伺った。ある程度若くて、イキがよくて、その上宮崎に定住する(他の土地に仕事などで移って行かない)サルセーラ/サルセーロを確保するのが大変だとおっしゃっていたのが印象的だった。いずれにせよ、ちえママのような「サルサの伝道師」がいる街では、これからも、静かにかも知れないが確実にこの踊りが拡がっていくのだと思った。 ママさんにはホテルまで車でお送りいただいて、またどこかのダンス・フロアでお会いすることを約してお別れした。さあ、次の日は中学生時代以来三十数年ぶりの「ひとり宮崎観光」だ!
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