一生もんのテーマ
高校時代、僕は「何か生きにくい」という忸怩たる思いをずっと抱いていた。大学生のときの1986年、1年休学してメキシコ(国立自治大学の留学生別科)へ留学。いわば世界で一番キチキチした国から一番ええ加減な国に行ったわけだ。そこで僕は、「隣の人と同じであれば安心する」という日本のあり方、これこそが僕の「生きにくさ」の原因だと気付き、ここを何とかしようと決意して帰国する。
決意はしたもののそれを具体化する術は見つけられず、ひとまず卒業後1988年神奈川の「生活クラブ生協」に入り、そこで横浜南部6区の配達と、某区の組合員組織の運営担当を任される。その過程で出会ったのが、当時「登校拒否(登校拒否児、登校拒否生徒)」と呼ばれるのが一般的だった、学校へ行かない子どもたちが集まる場所を主催するUさん夫婦で、僕は「あ、こういう事業もええんちゃうかな」と考えたのだ。やがて仕事を辞めこの種の場を主宰することを夢見始めた僕は、藤沢で始まって1年ちょっとだったここと同じような場所に誘われる。これが今の「そーじゃん」だ。
ここからは特に、「看護師志望の学生さん」を意識した説明にした。
これ以降、そーじゃんは単なる「憩うための場」から「精神障害者地域作業所(小規模作業所)」へ衣替え(1994)、僕は福祉関連の知識を整理する必要性を感じ、働きながら1995年に社会福祉士、2002年に精神保健福祉士、2004年にホームヘルパー2級の資格を取る。大学時代から考えると、こども、寄せ場、脳性麻痺者、引きこもり、依存症者、在日外国人その他様々な対象と関わってきて、その経験は少しずつ僕の心の中に積み上がっている。
彼女の質問にはザッとこんな感じで答えた。細かく言えば、学生時代のYMCAや大阪・西成の子ども会での体験や、横浜市内某所にある脳性麻痺者のグループホームでの泊まっての介助、自らの依存に取り組む人々のミーティングで自分の価値観をひっくり返された経験、それから2002年のワールド・カップの手伝いで得た多くの財産など、このブログにはまだ書いていないこともたくさん話した。彼女の素直な疑問に、期せずして、僕にとってのここ30年余りの時間が一気に整理されてしまった感じだ。
「何だか生きにくい」と思ってから30年。基本的には30年前に比べて多様な生き方が認められていると感じる反面、例えば選択的夫婦別姓が家族制度を破壊すると誤解している人は未だにいる(*)。また、20年前、4年生の8月にちんたらメキシコから帰って来てからでもよかった会社訪問が、今はそれから1年近くも早い3年生の10月1日から始めることになっている現実などは、むしろ「より生きにくく」なってしまっている例の1つだろう。
僕の目指した「生きやすさ」は、徐々に達成できつつあるとは言えるものの、未だ途半ばという思いの方が濃い。もっとも、「達成できた」と感じたらそこで辞めるという筋合いのものでもないし、この思いを「仕事」という形で表現しようとすることで、また別の意味を持ち始めることも確かだ。
たぶん、一生続くだろう「生きにくさ」との関わり。それを改めて思い出させて、そして整理させてくれたYさんに、この場を借りてお礼を申し上げると同時に、Yさんを含めた同専門学校の方々全員の、これから始まる看護師生活が充実したものになることを祈りたい。
(*)これは夫婦別姓か夫婦同姓かを夫婦ごとに選べるとする制度で、全ての夫婦に別姓を強制するものではない。したがって、「別姓は家族制度を破壊する」と考える人は同姓を選べばいいだけだということに、気付いていない人が意外に多いのは残念でならない。
決意はしたもののそれを具体化する術は見つけられず、ひとまず卒業後1988年神奈川の「生活クラブ生協」に入り、そこで横浜南部6区の配達と、某区の組合員組織の運営担当を任される。その過程で出会ったのが、当時「登校拒否(登校拒否児、登校拒否生徒)」と呼ばれるのが一般的だった、学校へ行かない子どもたちが集まる場所を主催するUさん夫婦で、僕は「あ、こういう事業もええんちゃうかな」と考えたのだ。やがて仕事を辞めこの種の場を主宰することを夢見始めた僕は、藤沢で始まって1年ちょっとだったここと同じような場所に誘われる。これが今の「そーじゃん」だ。
ここからは特に、「看護師志望の学生さん」を意識した説明にした。
これ以降、そーじゃんは単なる「憩うための場」から「精神障害者地域作業所(小規模作業所)」へ衣替え(1994)、僕は福祉関連の知識を整理する必要性を感じ、働きながら1995年に社会福祉士、2002年に精神保健福祉士、2004年にホームヘルパー2級の資格を取る。大学時代から考えると、こども、寄せ場、脳性麻痺者、引きこもり、依存症者、在日外国人その他様々な対象と関わってきて、その経験は少しずつ僕の心の中に積み上がっている。
彼女の質問にはザッとこんな感じで答えた。細かく言えば、学生時代のYMCAや大阪・西成の子ども会での体験や、横浜市内某所にある脳性麻痺者のグループホームでの泊まっての介助、自らの依存に取り組む人々のミーティングで自分の価値観をひっくり返された経験、それから2002年のワールド・カップの手伝いで得た多くの財産など、このブログにはまだ書いていないこともたくさん話した。彼女の素直な疑問に、期せずして、僕にとってのここ30年余りの時間が一気に整理されてしまった感じだ。
「何だか生きにくい」と思ってから30年。基本的には30年前に比べて多様な生き方が認められていると感じる反面、例えば選択的夫婦別姓が家族制度を破壊すると誤解している人は未だにいる(*)。また、20年前、4年生の8月にちんたらメキシコから帰って来てからでもよかった会社訪問が、今はそれから1年近くも早い3年生の10月1日から始めることになっている現実などは、むしろ「より生きにくく」なってしまっている例の1つだろう。
僕の目指した「生きやすさ」は、徐々に達成できつつあるとは言えるものの、未だ途半ばという思いの方が濃い。もっとも、「達成できた」と感じたらそこで辞めるという筋合いのものでもないし、この思いを「仕事」という形で表現しようとすることで、また別の意味を持ち始めることも確かだ。
たぶん、一生続くだろう「生きにくさ」との関わり。それを改めて思い出させて、そして整理させてくれたYさんに、この場を借りてお礼を申し上げると同時に、Yさんを含めた同専門学校の方々全員の、これから始まる看護師生活が充実したものになることを祈りたい。
(*)これは夫婦別姓か夫婦同姓かを夫婦ごとに選べるとする制度で、全ての夫婦に別姓を強制するものではない。したがって、「別姓は家族制度を破壊する」と考える人は同姓を選べばいいだけだということに、気付いていない人が意外に多いのは残念でならない。
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