キューバの京都か奈良か鎌倉か
サンティアゴは「歴史が息づいている街」だ。植民地時代から革命期までの史跡が至る所に点在している。その種のものが、あるにはあるが限られている首都ハバナとは比べものにならない密度で存在し、日本で言えば横浜・東京と、京都・奈良・鎌倉ぐらいの違いがある。 1月2日(日)、この日訪ねたのが Casa de Velázquez (ベラスケスの家)。この町を開発したスペイン人征服者、ディエゴ・ベラスケスの邸宅を博物館化したものだ。ここでもまた「頭のいいガイドさん」と出会う。いや、ここの人は正確には「ガイド」ではない。「今ガイドが出払ってるんですよ。まあ、僕でよければご案内しますけどね」と持ち場から立ち上がってくれたのは、なんと受付係のおじさんだ。それでいてどうしてどうして、やはりこの人も何も見ずに誇り高げにしゃべる、しゃべる。 日曜日の朝である。街を歩いていたら、人がたくさん集まった屋外から歌声が聞こえてきた。僕にはそれがゴスペルだとすぐにわかった。カトリック国であるはずの国の、町の中央聖堂のすぐ近くでゴスペル、である。 しかも、この国では珍しいかも知れない礼拝に参加する間もなく、打楽器の音が聞こえてきた。ショウでも何でもない、「ホンモノ」だ。 このコンパルサの一団はどこまで行くのだろう。キリがなさそうなので、カテドラルの前までで見送った。 「サンティアゴの消印」がついている葉書を日本に送りたくて、郵便局に寄る。僕が右手に持っているのは絵葉書、隣にいるのは、僕らが郵便局にいるとき声をかけてきた兄ちゃん。何だか、僕が頑張って探したけど見つけられなかった民族舞踊集団 Cutumba のメンバーだそうで、次回のためにそのグループの住所はちゃんと聞いておいた。ただ、この日から既にひと月半、ここから便りを出した2人から「着いたよ」という知らせは未だに来ない……。 Santiago最後の夜もここ、Plaza Artex (プラーサ・アルテックス)でダンス・ダンス・ダーンス! そして、僕たちをもてなしてくれたcasaのご家族です。真ん中がduena(主人)のMargarita。右の2人は決して妹ではありませんよー。娘さんたちです。 サンティアゴ・デ・クーバをしっかり満喫した僕たちは、タクシーでアントーニオ・マセーオ国際空港に向かい、クバーナ航空機でハバナに舞い戻った。離陸時刻がえー加減だったことと、往路よりも大きな機材だったにもかかわらず、その割には必要だとは思えない人数のキャビン・アテンダントが搭乗していたこととが、僕の不安を妙に掻き立てた。
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