3つの『初めて』を1つに合わせて
☆25年前のホームシック☆ 25年ほど前、メキシコに留学したときのことだ。もちろん行きたくて行きたくて、ものっすごく憧れて奨学金の試験を受けて、それに通していただいたことは嬉しかったのだが、彼の地に渡った当初は山のような不安に見舞われた。その際僕は考えた。初めての大阪以外での生活、初めての外国生活、初めてのひとり暮らし……こんなにたくさん「初めて」をいっぺんにやることに、そもそも無理があったんや。どれか1つでも、予めやっときゃよかった。 とは言え、後へは引けない。「大変やから一度日本へ帰って出直します」なんて、言うわけにいかない。そう考えた僕はやがて、現地の人たちと関係をたくさん作ることによって、変な後悔をいつの間にか忘れてしまうことに成功する。☆計画書からして「修士論文」☆ 先週末、大学院の初めての対面授業(スクーリング)に、名古屋まで行ってきた。この大学院には、入るまでが結構難儀な作業だったという話は以前書いた。 その上、通信であろうと通いであろうと、修士課程というのは基本的に「修士論文を書くための2年間」なのだ。何かテキトーにご本を読んで、出してもらった問題に答えていて済む部分は本当に少ない。自分で文献を探し、自分で仮説を立て、自分で調査をし、そして自分で考え自分で説明する、それが当たり前の場所だ。 今回の1回目のスクーリングの中心になったのは、三十余名の1年生の「研究概要書」を1人分ずつ、計3時間近くかけて全員の前で講評、いや、酷評するという授業だった。 「社会福祉研究法論」という講座で、教科書の名前も「研究計画書の考え方」なので、当然「お前の計画書は甘い!」と言われることから始まるとは思っていたが……この授業では、みんな見る見るうちに顔がどよ~んとなっていくのがわかった。ずっと冷静だったのは、最初から「ドンと来い!」と考えていた僕だけ……かと言うとおそらくそれは本人の思い込みに過ぎず、僕もさぞかし暗い顔をしていたに違いない。 まずはこの計画書を「修士論文の計画書」にちゃんと直していくことから、僕の大学院生活は始まるのだ。初めての大学院生活、初めての本格的論文執筆、それから、初めての本格的転職。四半世紀前、若かったが故に勢いでやってしまったのと同じことを50手前になってしている僕がここにいる。今回もやっぱり、「どれか1つでも、予めやっときゃよかった」のか? 幸いにして、30人余りの同級生たちは、年齢も職種も様々。先生方も含め魅力的な人ばかりで、また彼女たち/彼らに会える、と思うだけでも名古屋へ行く元気が出る。さあ、4月中に締切がある小テストやネット掲示板の書き込みが既に数通あるので、それらはちゃっちゃとやってしまわねば。 写真はNF大の名古屋キャンパスと、土曜の晩に初めて訪れた、友人のエルメス・マレーロが経営するサルサ場「ラ・アバーナ」の入口扉。
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