ビックロ、横浜ベイブリッジ、尖閣諸島
今年2012年の今日・9月27日は、東京の新宿東口に「ビックロ」が開店したそうです。ビックカメラなのかユニクロなのか、結局電車の中吊り広告を見てもよーわからん、まあ行ってみるしかないか、てな感じのお店。 1989年の同じ日には、首都高速道路湾岸線の横浜ベイブリッジが開通しています。当時は珍しい存在やったけど、今は空港やディズニー・リゾートに行くときなんかにバスでフツーに通っています。 今日は本当はそういうことを書きたいのではありません。今からちょうど80年前、1932年(昭和7年)の9月27日は僕の母が生まれた日です。当時、日本の植民地だった台湾で母は生まれたのですが、小さい頃それを聞いて、訳のわかっていない僕は「お母さんて、台湾人なん?」なんて質問して母を困らせたものでした。 母が台湾人なのか何人なのか、そしてそういうことに絡む歴史的な意味も多少わかるようになった今、あっちの境目の方で国同士がやっていることには本当に心が痛みます。「『俺のもんや』『ワシのもんじゃ』と言って取り合いしても、争いは解決はしないよ」と小学校の先生が教えてくれたときに、政治家の皆さんは聴いていなかったのでしょうか? 既に議員になることで頭が一杯で、それどころやなかったんかな。 少し話がそれました。でも、母の世代の人間にとって、大東亜戦争(第二次世界大戦)の記憶と、それをちゃんと顧みることは、切っても切り離せないものです。空襲で防空壕に逃げ込んだ話は、母からは本当によく聞いたしな。平和を勝ち取ることを誓いつつ、生きていたら傘寿の祝いになる母に、献杯。 一昨年春に友子と訪れた、四国霊場三十番札所、善楽寺(高知県)。母を偲ぶこの遍路も、また続きをやらなければ。
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