ああっ女神さまっ♡

 1986年12月、メキシコに留学していた頃、僕はクリスマス休みを利用して、バスでアメリカ合衆国はテキサス州に向かった。世界地図で見ればメキシコからテキサスなど近い場所なので、僕は何も考えずに、寒さへの備えなどせずに旅立った。しかし、ナメてはいけない。いま改めてGoogleの地図で調べると、メキシコ市からほぼ真北に位置するテキサス州サン・アントニオ市まで約1300km、日本で言えば鹿児島から青森くらいまでの南北差になる。気候が違わないはずがないのだ。 寒さと雨にやられて、風邪をひいた上にお腹まで壊して数日ホテルでひとり寝込んだのちに、その日ようやく僕は街に出る元気を取り戻していた。観光するほどの活力はまだないけど、とりあえず絵葉書くらいは書いて友だちに出しに行こう。そう考えて郵便局まで出かけたら、自分と同じ年頃の日本人らしき女の子がいるではないか。根性がねじくれ曲がっていたその頃の僕は、外国で日本人に会っても決して話そうとしなかった。でも、体調を崩して心が弱っていた僕には、そのとき彼女が女神に見えて、迷わず声をかけていた。「に……日本人ですか?」 たか(ニックネーム)、京都府の北の方の出身で、当時USAのカンザス州だかどこかに留学していて、やはりサン・アントニオに遊びに来ていた学生だ。その後彼女とはメキシコで会ったり、東京で会ったりと、細く長くお付き合いが続いていた。ところが、やがて彼女はキャセイ・パシフィック航空で職を得て香港に居を移し、更にエール・フランスに採用されパリへ行くことになり、「連絡先はちゃんと教えてね」と言っておいたにもかかわらずそのままになっていた。そう、「新しい連絡先」をいちいち教え続けなければ「連絡」が取れなかった、僕たちがEメールを使い始める前の話なのだ(因みに、僕がアドレスを初めて持ったのは1997年)。 ところが、先週の木曜、5月23日の未明に、このブログに彼女らしきひとからコメントが入った。曰く、「直メールしたいけどアドレスってどこ?」。そのあとの僕からの返事にも書いているように、「1週間前に会ったばかりみたい」な文章に、彼女っぽいなとは思いつつパリと神奈川とでやり取りをした。それでわかったことは、25日の土曜日に成田便で日本に来ることと、土日の滞在地が何と僕たち夫婦の住んでいる街と同じ沿線(急行なら僅か10分の距離)ということだった。彼女がパリのアパートを出る直前までは彼女のPC+手持ちのiPad+日本では携帯メールでやり取りして、昨日26日(日)に会うことが決まった。 昨夜は、途中で彼女の滞在先のお友だちのめぐさんも合流して約3時間喋りっぱなし。15年以上の月日が、僅か3日で縮まったひとときだった。彼女がここにメッセージをくれたのは、何だか前回の成田便でめぐさんのお宅に泊まった際にサルサの話が出て、「そう言えば、サルサやってる友だちがおって、昔踊れる店に連れて行ってもらってちょっと教えてもらったことがあって……」という話になって、そのときすぐには僕の本名が浮かんでこなかったのだが、パリの空港から自宅へ帰るタクシーの中で突然思い出して、制服のままPCのスイッチを入れて検索したらこのブログがヒットしたらしいのである。インターネット恐るべし、ティーカップブログ恐るべし。 右から2番目がたか、右端がめぐさん。 これから彼女がどれくらいの頻度で成田に来るのかわからないが、これで今までよりは頻繁に会えるでしょ。それと、彼女が住むパリにはなんちゅうても「アイツ」がおるしな、ぜひ彼の初心者クラスには行ってみてもらいたいと思う。

千兵衛の "「居場所カレー屋」まで、HALF A MILE AWAY"

「昼ごはん時はカレー屋さん、午後は若い子たちの居場所にして、晩ごはんの時間にはまたカレー屋に戻る……」そんなお店を将来やることだけは決めた。ただ、カレーを作るのと人と話すのは好きやし今までやり倒してきたけど、店を経営したことがあるわけじゃなし、皆さん、知恵と力を貸して下さーい!というサイト。踊ったり遊んだり、毎日の生活満載の Instagram, Facebook やブログのリンクも貼っています!

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